【②-2】それでも神とか仏とか、あの世とか、確かめようのないもの、この目で見たこともないものを、私は信じ、神のために生きたいと思いました。出家を決意してからは、安定した生活が送れるようになっております。
皆様から見たら洗脳とも取れるであろうこの一連の出来事やこの約8年間で感じてきた
【②-3】素直な気持ちを、これから、偽りなく、明かしていきたいと思います。【①-2】どうかこれからも温かい眼で見守って頂ければ幸いです。本当に本当にありがとうございました。
2017年2月吉日
清水富美加」
既に各紙を通してご覧になった方も多いであろう。筆圧や文字の大きさなど重要な心理状態の表現もあるが、ここでは文面から分かる依存心と青年期の葛藤に絞って考察を深めたい。
まず冒頭と最後の段落にある【①-1、2】には、今回の出家の意味がよく表れている。「姿を消して申し訳ない」と始まるが、「これからも温かく見守って頂きたい」と締めている。そう、「出家するので現世よ、さようなら」ではなく「そっとしておいてほしい」+「今後もよろしく」という「承認」を求めているのである。
与えられた仕事で散々傷ついた。自分を回復し癒す場が必要で宗教を選んだ。認めて理解してほしい。見ていてほしい。そんな訴えである。その証拠に「@sengen777」と言う新たなツイッターアカウントを明かしている。これだけ見ても今回の出家が、彼女の主観では、世俗世間への別れでは無く新たなアプローチの開始宣言と読み取れる。
ここで、注目すべきは、彼女が回復と癒しを求めたのが宗教であることだ。なぜ、仕事や社会での自立ではなく宗教の懐に抱かれることを選んだのか。
一朝一夕ではない、歳月を重ねて育まれてきた宗教への依存心がそうさせたのであろう。
ここで、家族の存在はどこにあるのだという疑問が生まれる。
本来、傷つき、葛藤を抱え心折れそうになった時、真っ先に依存したいのは誰か。彼女は言う。この8年、14歳の思春期真っ只中の少女時代から心が追いつかなかった、と。その多感で幼い頃、一番の支えは家族であり、友人であるのが一般的だ。依存や甘え自体は悪くない。なぜなら人は生まれながらにして依存しなければ生きていけない生き物だからだ。幼少期はもちろん大人になっても両親や家族に甘えられてこそ人間としての成長が達成できる。つまり、家族への依存や甘えは人間としての健康な成長の基盤と人的環境を整えてくれる大事な心的能力なのだ。