「カリスマ」の来た道――シリーズ【草の根保守の蠢動 第28回】
前回の記事でも指摘した、「日本会議&日本青年協議会/日本政策研究センター/谷口雅春先生を学ぶ会といった3つのセクターは、70年代まで盛んだった『生長の家学生運動』の出身という同じバックグランドを持った人たちが、綿密に連携をとりつつ、右傾化運動に当たっている」という点を再度、確認しておこう。学生運動華やかりし頃から、もはや50年近い歳月が経っている。果たして「学生運動の頃の人間関係がそのまま生きている」などということがありうるのか?
日本会議事務総長であり日本青年協議会会長である椛島有三が、長崎大学で始めた「学園正常化運動」は、左翼学生たちの占拠するキャンパスを「解放」することに成功し、一躍、椛島有三はじめとする長崎大学学園正常化運動の運動家たちがヒーローとなり、彼らの運動スタイルは「学協方式」と呼ばれ、やがて、彼らの運動を母体とし「民族派の全学連」としての「全国学協」が結成されたという顛末は、以前(連載5回)でも触れた。
全国学協は、その名の通り学生組織だ。いずれ学生たちは大人になる。この全国学協を母体として設立された社会人組織が、現在も椛島有三が率いる日本青年協議会だ。設立は、1970年11月3日。偶然にも日本青年協議会設立のわずか20日後に、三島事件が勃発している。
余談ではあるが、この間の顛末について書いておきたい。日本会議界隈がまとう時代の空気を理解するためには、どうしても「70年安保が終わった後の右翼学生の雰囲気」を理解する必要がある。
安東巌について書かねばならない。
しかし、彼の経歴を遡る前に、
『日本会議の研究』 「右傾化」の淵源はどこなのか?「日本会議」とは何なのか? |
この連載の前回記事
2016.02.15
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