いずれにせよ、日本青年協議会は、学生運動の足場を失った。もとより、生学連(生長の家学生会全国総連合)は存在する。しかし生学連はあくまでも「生長の家」信徒学生の団体だ。さらには、「生長の家」教団は繰り返し、「愛国運動はすれども生長の家は右翼団体にあらず」と表明している。生学連をアクチュアルな運動の場に引きずり出すわけにはいかない。自前の学生運動組織を持つ必要性に迫られた日本青年協議会が組織した団体が、「反憲法学生委員会全国連合」、そう、当時の左翼学生を震え上がらせたあの「反憲学連」だ。
反憲学連登場後の各組織の住み分けを整理すると、この図のようになる。
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反憲学連の結成は、1974年3月。後述するように、安東巌は、この時、生長の家専従と成っており、青年局に所属していた。安東巌が拠る生長の家青年局も椛島有三が拠る日本青年協議会も、「長崎大学学園正常化運動」の指導者によって率いられていたことがわかる。
こうして誕生した反憲学連は、日大などにおいて、左翼セクト学生たちと苛烈なゲバルトを展開していくようになる。また、学内において左翼セクトと競合するためにも、論理武装の充実を目指し、盛んに合宿等を開いて、組織員の教育に当たった。
これが、当時彼らが利用したテキストだ。
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反憲学連が使用したテキスト
そして、このテキストの奥付がこれだ。
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テキスト編集にあたったスタッフの名前が一覧で表示されている。この一覧に掲載されているのだから、この人びとは反憲学連中央理論局に所属していたというわけだ。
彼らが、2016年現在、何をしているか、表にまとめた。
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9名中、消息が不明の横前・山本の2氏以外の7名までが、今も、現役で、全国各地で、日本会議界隈の運動に従事している。とりわけ、現在「谷口雅春先生を学ぶ会」の副代表を務める前原幸博、日本会議岐阜専務理事の馬淵雅宣の両名については、今後も言及することがあろうと思われるため、ご記憶願いたい。
いずれにせよ、だ。
彼らは学生運動時代の人脈を今も維持し、その人脈のまま運動に従事していることがこれでお分かりいただけるだろう。奥付にあるように、この表に掲載された反憲学連のメンバーたちがあのテキストを編集したのが、昭和53年つまり1978年だ。もう40年近い歳月が流れている。にもかかわらず彼らは未だにその仲間の紐帯を維持し、運動を続けている。しかも、岐阜 熊本 宮崎 東京と、物理的に離れているにもかかわらず綺麗に連携を保って運動を展開しているのだ。なんたる情熱。なんたる継続力。これが前回、「谷口雅春なきあとも、彼らの情熱を支え続ける存在がいるはずだ」と疑問提起した理由だ。でなければ、このようなことができるはずがないではないか。
ここで注意を要するのは、反憲学連のメンバーが、日本会議周辺だけでなく、各方面で運動に従事している点だ。例えば前原幸博。彼はこの連載で「教団グループ」として以前にも紹介した「谷口雅春先生を学ぶ会」の副代表を務めている。彼の運動分野は日本会議ではない。つまり、前原幸博は「日本会議」ドメインの頭目である椛島有三の指揮に従う立場にはない。あくまでも前原は、宗教運動に従事しているのみだ。
やはり、40年以上前に始まった彼らの運動は、目下
「日本会議」
「日本政策研究センター」
「谷口雅春先生を学ぶ会」
の3つのドメインに分かれており、この3つのドメインが綿密な連携をとりつつ、各方面に展開している。。。と解釈するのが自然だろう。
従って、この3ドメインの頭目たち――椛島有三 伊藤哲夫 中島省治ーを「彼らの運動を束ねる存在」としてみるわけにはいかない。会社組織で言えば、この3人は、事業部長のような存在だろう。この事業部長たちを束ね、運動全体を見渡す立場の人物がいるはずだ。
と、なると、前回指摘したように、椛島有三より前に学協の代表を務め、「生長の家」教団の中にあっては伊藤哲夫の上司を務めた安東巌こそが、「谷口雅春なきあとも、彼らの情熱を支え続ける存在」「運動全体を見渡す立場にいる人物」と目するほかないだろう。