約1年にわたって、日本会議を追い続けてきた。
これまで、この連載が各種資料と当事者証言で明らかにしてきたポイントは以下の通りだ。
・閣僚の参加議連等を見ていると、現在の安倍政権は、日本会議の影響を色濃く受けている様子が伺えること
・「緊急事態条項の創設」「憲法24条を改変し家族条項を追加すること」「憲法9条2項を改廃すること」という、最近にわかに活発化した改憲議論は、その内容と優先順位ともに、日本会議周辺、とりわけ日本政策研究センターの年来の主張と全く同じであること
・日本会議が展開する広範な「国民運動」の推進役を担っているのは、神社本庁でも神道政治連盟でも、また、その他の日本会議に参加する宗教団体でもなく、「日本青年協議会」であること
・「日本青年協議会」の会長であり日本会議事務総長である椛島有三も、“安倍総理のブレーン”と呼ばれる「日本政策研究センター」を率いる伊藤哲夫も、「生長の家学生運動」の出身者であること
・現在の「生長の家」は、三代目総裁・谷口雅宣のもと過去の「愛国宗教路線」を放棄し「エコロジー左翼」のような方向転換をしており、目下、この路線変更に異を唱える人々が「生長の家原理主義」ともいうべき分派活動を行っていること
・「谷口雅春先生を学ぶ会」(以下、「学ぶ会」)が「生長の家原理主義」の中心団体であり、「学ぶ会」には、稲田朋美や衛藤晟一などの首相周辺の政治家を始め、百地章 高橋史朗など「保守論壇人」「保守派言論人」が参加していること
・また「学ぶ会」周辺の人々は、主に関西において、“軍歌を歌う幼稚園”として有名な「塚本幼稚園」の運営や、いわゆる「行動する保守」界隈への支援などを行っていること
これらのポイントを今一度、相関図として示す。
⇒【資料】https://hbol.jp/?attachment_id=82741
このように見ると、この連載が追いかけてきた「日本会議」界隈は、安倍政権への支援・協力という「上への工作」のみならず、言論界での行動や幼稚園経営などを通じた市民社会への浸透という「下への工作」まで、実に手広くやっていることがお分かりいただけるだろう。
と同時に、実に多数の人々が多種多様なチャネルを通じて、数十年の長きにわたり、彼らの「悲願」ともいうべき「憲法改正」に向かって運動を続けてきてこれたことが、不思議に思えて来る。
彼らの運動がスタートしたのは、70年安保の時代。
あの頃から既に50年近くの歳月が流れた。にもかかわらず彼らは未だに当時の同志の紐帯を維持し、その輪を拡げている。彼らの敵であった左翼学生運動がその後、内ゲバや離合集散を繰り返し、党派としてはおろか人間関係としても元の姿を止めていないのと好対照だ。
なぜそんなことが可能なのか? 彼らの一体感はどこから生まれるのか?