海外で話題沸騰中のニーチェ本にみる、日本の教育政策の危うさ

「目的ありき」の教育が生み出す歪み

 そこで、再び思い出してほしい。教育など、何の役にも立たないものなのだ。  ニーチェは、無目的の理由をこのように誇る。
<我々はご高説を垂れたいわけでもなければ、何かを代表して意見を述べたいわけでもないし、達成したい目標があるわけでもない。将来など考えずに、いまこの瞬間もぐだぐだと怠けるだけの存在でありたいのだ。>
 これを傲慢なエリート主義と批判する向きもあるだろう。しかし、それでもここに私たちの抱える病が、逆説的に映し出されている。それは、“生産活動の役に立たないものはすべて無駄であり、捨ててもかまわない”と早とちりする、稚拙な合理主義だ。  特に「人材」という言葉が当たり前のように使われる社会で、“使えない人間は排除されても仕方ない”との判断が理性的な選別だと称賛されるのは明白だ。  およそ150年の時を経て『ANTI-EDUCATION』が訴えかけるのは、エリート主義の復活でもなければ、民族精神の復興でもない。目的が設定された教育こそが、人間同士モノのように扱い合う殺伐とした社会を生み出す。そんな現状に警鐘を鳴らしているのである。<文/石黒隆之>
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