「“日本のイチゴは農薬・肥料まみれ”の現状を変えたい」30代農家の挑戦

有機栽培は、有機物があり余っている世界でしか通用しない

 ここに至るまでの道のりは平坦ではなかった。無謀と言われた自然栽培へ野中さんを向かわせたものは何だったのか。  それには、かつて働いていた国際NGOでの体験が大きく影響していた。25歳のとき、野中さんは志願してフィリピンの山岳地帯の少数民族の村に出向いた。 「子どもたちに野菜づくりを教えて生きていくすべを身につけてもらいたい。そう考えて畑づくりから始めました。だが、山肌の畑は岩だらけ。クワでたたき割り腐葉土を運び入れました。腐葉土といっても落葉くらいしか集められず、日本で学んだ有機栽培を展開できる状況ではありませんでした。有機栽培は、日本のように有機物があり余っている世界でしか通用しない栽培法だと思い知らされたんです」  フィリピンでは、米ぬかはブタのエサ、鶏のフンも魚のエサになって高値で売買されるため、有機肥料に使える材料はほとんどなかった。野中さんは国情の違いを痛感させられたという。この体験から、農業資材に乏しい発展途上国で通用するような、だれがどこでやってもできる栽培法の確立を目指すことを決意した。 「イチゴも本来の旬(4~6月)を守って露地でつくればラクにできる。しかし、旬をずらしたビニールハウスの中で、無肥料・無農薬でできたら勇気づけられるじゃないですか。イチゴでそれができるなら、ほかの野菜もすべて自然栽培でできることになる」  まるで町医者が患者を1人ひとりみるように野中さんはイチゴと接し、そのときどきの状態にあわせてまく水の量を決め、イチゴの管理につとめる。リンゴ農家で自然栽培農法の第一人者・木村秋則さんがよく口にする「私の目が農薬であり、肥料なんです」という言葉と同じく、野中さんも徹底して株の状態を観察し、臨機応変に世話を施す。
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「イチゴ本来の味がする」木村秋則さんも絶賛
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希望のイチゴ

難題に挑む農家・野中慎吾の、試行錯誤の日々を描く