米軍の掃討作戦。テロとは無関係な一般市民も多数連行された(撮影:志葉玲)
米国によるイラクへの大規模侵攻、俗にいう「イラク戦争」が開始されて13年の歳月が経った。発見されるはずの大量破壊兵器は存在せず、その後イラクにもたらされるはずだった民主主義も、定着するどころか複数の武装勢力による殺人や破壊活動などが一層激しくなり、混迷を増すばかりだ。
加速度的に変化していく日本の安全保障政策は、中東情勢の変化と深く関係している。安保法制が施行される今、私たちも無関係ではなかった「イラク戦争」を振り返ることは、現在の日本の安全保障政策を考える上で避けて通れない。
3月22日、明治大学で「イラク戦争開戦から13年/この戦争を知らずして、日本の進路は決められない」と題したトークセッション(
「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」主催)が開催され、現地事情に詳しい関係者がそれぞれの角度から課題を指摘した。
「湾岸戦争では浄水場の攻撃で水道水の水質が悪化し、それが原因でたくさんの罪のない子どもたちが亡くなりました」と指摘するジャーナリストの志葉玲氏は、外国人があえてイラクに滞在することで米・有志連合軍の攻撃を止めようとする「人間の盾」として開戦前後にイラクに入国。
ドーラ浄水場などに滞在し、その屋根に「Human Shields Here」(ここには人間の盾がいるぞ)と描いたり、大手メディアが集まるホテルで記者会見をしたりなどして、攻撃阻止を試みたという。そこには、現在シリアで拘束されているとされるジャーナリストの安田純平さんの姿もあった。
米軍は、軍事拠点のみを「ピンポイント攻撃」しているとしたが、実際には市場や民家を次々と攻撃・破壊。病院には「クラスター爆弾の破片を身体中にくらった子どもたちがたくさん運び込まれていました」(志葉氏)。
戦争においては、軍事拠点ではない場所、特に発電所や浄水場などのインフラ、市場や病院などの生活拠点を攻撃することは軍事上一定の意味を持つ。それを考えれば、この悲劇は必然の結果だった。
長年現地取材を続ける映像ジャーナリストの綿井健陽氏は、米軍の空爆があった場所に駆けつけると、現地の人から遺体安置所に案内された。横たわる何体もの遺体を前にこう詰め寄られ、言葉を失ったという。
「これが大量破壊兵器に見えますか?」
「これが生物化学兵器に見えますか?」