都会の専門家が考える「復興」と、被災地の人が願う「復興」の大きな差とは?

 多くの津波被災者を生み出した東日本大震災。東北沿岸部の津波被害を受けた地域は居住が制限され、住民は集落ごと引っ越す「防災集団移転」に参加するか、集落を離れるかの選択を迫られてきた。津波で1000人以上の死者・行方不明者を出した宮城県気仙沼市。震災直後から現地で活動するNPO、日本国際ボランティアセンター(JVC)気仙沼事務所代表の岩田健一郎さんに話を聞いた。

住み慣れた土地から引き離されることの辛さ

移転候補地を視察する住民

移転候補地を視察する住民

「JVCは気仙沼市の浦島地区というところで活動しています。この地区には震災前240世帯が暮らしていましたが、津波で約7割の住民が家を失いました。震災前に暮らしていた場所は『災害危険区域』に指定され、住民は移転を余儀なくされました。国と市は集落がまるごと引っ越す『防災集団移転(防集)』を推し進めようとしました。防集は、5戸以上の住民がまとまって高台への移転を希望すれば、行政がいったん土地を買い上げて造成し、宅地として賃貸または分譲するというものです」 「行政が家を建てる場所の面倒を見てくれるなら結構なことじゃないか」と思うかもしれない。しかし「それは簡単なことでない」と岩田さんは言う。 「浦島地区の住民は同地域内の高台への移転を希望しました。しかし、地権問題などがあり簡単には場所が決まりません。都会の人からすると、『どこでもいいから便利なところに引っ越せばいい』と思うかもしれません。ですが、それは地域の人間からすると受け入れづらい意見です。東北の沿岸の人たちは土地そのものに強い思い入れがあります。住み慣れた土地から引き離されることの辛さを何度も聞いてきました。  それは“自分の根っこが奪われる”ような感覚だと言います。また、浦島地区ではワカメやコンブなどの養殖業が盛んで、生活自体が海とつながっていました。元の集落から離れて内陸の土地に移り住むことは、容易に選択できることではありませんでした」
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住民の自助努力に頼りすぎの移転事業
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