秋田書店は昭和ベンチャーの象徴――手塚治虫を復活させた『少年チャンピオン』の創刊秘話

あの宮崎駿にも影響を与えた、創業期の凄い看板作家

 秋田書店は1948年創業の「週刊少年チャンピオン」等で知られる出版社です。出版社としては、少年少女向けコミックや青年コミックに分野を絞って、一定のファンを地道に抑えているイメージがありますね。

全盛時代の『少年チャンピオン』。実に豪華な連載陣である。1978年4月17日号(秋田書店)

 創業者の秋田貞夫(ていお)は小学館、朝日新聞社などを経て、39歳の時に秋田書店を設立しています。創業当初は児童向け単行本を中心に社長自らリヤカーで本屋を回って売っていたようですが、やがてその中から絵物語「コングの逆襲」「新バグダッドの盗賊」といったヒット作品が生まれます。  そして、それらの成功を受け、秋田は児童向け雑誌に進出します。当時は戦後の創刊ラッシュでライバルも非常に多い状況でしたが、1949年に創刊した「少年少女冒険王」は創刊号から売れに売れ、1953年には部数55万部を突破「少年(光文社)」「少年クラブ(講談社)」「少年ブック(集英社)」「漫画少年(学童社)」などと並ぶ人気漫画雑誌になります。  その躍進を雑誌の看板作家として支えたのが、秋田が小学館時代から担当していた、絵物語作家の福島鉄次でした。特に「冒険王」に連載された「沙漠の魔王」は四色カラー16ページという豪華な体裁に盛り込まれた異国情緒あふれる背景世界と、その荒唐無稽な冒険活劇のストーリーで、終戦直後の少年たちの心を見事に捉えました。  かの宮崎駿もその1人で、例えば「天空の城ラピュタ」に出てくる有名な「飛行石」の元ネタもこの作品だったりします。アメコミを思わせるグラフィック面でも、ターバンやマントの感じや武器の描写など、どことなく「風の谷のナウシカ」の雰囲気も感じられますよね。
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当時の漫画には「単行本化」の概念がなかった!?
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