右傾化路線の淵源に立つ男――シリーズ【草の根保守の蠢動 第27回】

彼を知る人が一様に怯える存在、安東巌

 この名前、実はこの連載で2回ほど登場したことがある。一回目は連載9回で筆者のインタビューに答えてくれた生長の家学生運動の元闘士の証言の中に。二回目は連載第19回で、日本政策研究センターの代表・伊藤哲夫が「生長の家」の職員であったことを暴いた際、その根拠として、「生長の家」青年会の機関紙「理想世界」の1976年(昭和51年)11月号に掲載された鼎談記事を引用したときだ。  前傾の鼎談記事に伊藤哲夫とともに参加しているのは、生長の家青年会会長・森田征史と、生長の家青年会副会長・安東巌。  いた。安東巌だ。  長崎大学で反帝学評のバリケードを撤去せよと叫んでいた「学生協議会初代議長 教育学部四年 安東巌君」は、その後、生長の家青年会の副会長になっていたのだ。伊藤哲夫の当時の肩書きは、中央教育宣伝部長。副会長の肩書きを持つ安東巌は、彼の上司であったことになる。  と、いうことは。  椛島有三より前に「学生協議会」と名のつく組織の代表を務めた男。  伊藤哲夫の上司であり「生長の家青年会」で副会長まで上り詰めた男。  それが、安東巌という男だ。。。ということになる。  こうして過去の資料を踏まえると、この安東巌こそが、椛島有三や伊藤哲夫や中島省治では適性に欠ける「運動に参画する多数の人々の情熱を維持し続け、運動に従事する人々の胸を熱くし続ける、谷口雅春に匹敵するようなカリスマを持った人物」の要件を満たしているように思える。  果たして本当にそうか?  こうした資料的裏付けを元に、「運動経歴を見ると、安東巌こそが、椛島有三や伊藤哲夫らを従え、彼らの運動を束ねる中心人物のように見えて仕方がない」という疑問を、安東を知る人々にぶつけてみた。 「安東はね、そんな生易しいもんじゃないんだよ」 「君ね、安東だけはやめなよ。触っちゃいけないよ」 「安東はね、怖いんだよ。オレは話さないよ」  どの人物にこの質問を投げかけてみても、まずはこうした答えが異口同音に帰ってくる。  果たして安東巌はどのような人物なのか。資料的な裏付けの通り、彼こそが彼らの運動の中心人物なのか。  次回は、安東を知る人々の証言を元に、彼の履歴と「カリスマ」に迫る。 <取材・文/菅野完(Twitter ID:@noiehoie)>
すがのたもつ●本サイトの連載、「草の根保守の蠢動」をまとめた新書『日本会議の研究』(扶桑社新書)は第一回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞読者賞に選ばれるなど世間を揺るがせた。メルマガ「菅野完リポート」や月刊誌「ゲゼルシャフト」(sugano.shop)も注目されている
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日本会議の研究

「右傾化」の淵源はどこなのか?「日本会議」とは何なのか?