“取り残された街”、タイ・ヤワラーの住人が縋る地下鉄開業という光明
ヤワラーは混沌として独特な場所であるが、これもあと数年で変わっていく。その要因になっているのはヤワラーの地下で行われている地下鉄の延長工事である。中華街を潜り、観光客が多い王宮の近くを通ってチャオプラヤ河の先に進む。これが完成すればヤワラーは訪問しやすいエリアになり、商魂たくましい中華系タイ人の手腕で瞬く間に発展するだろう。
⇒【前編】「発展著しいタイに残された最後の「混沌」、ヤワラー地区を行く」
かつてヤワラーはバンコクの最先端であった。タイで初めてのエレベーターもここが最初であったし、映画館や京劇も鑑賞することができた。しかし、バンコクが東へ東へと拡大する中で、道路の配置の悪さや駐車場の少なさなどでヤワラーに人が来なくなり、発展は頭打ちになって現在に至る。
100年以上続く潮州料理店「笑笑酒樓」の2代目老婆は地下鉄に期待する。
「地下鉄ができたら間違いなくこの街は変わります。3代目を任せることになる孫と完成を待っていますよ」
タイで長く続く店や企業は大半が中華系タイ人だ。タイは多民族国家で、中でも中華系が最も商売がうまいとされる。現在のタイで財閥と呼ばれるグループのほとんどは創業者が中華系だ。セブンイレブンなどを展開する「CPグループ」やタイ第1位である銀行の「バンコク銀行」、全国に展開する「セントラル・デパート」などが有名である。昨今のタイ政情悪化の原因とも言えるタクシン・チナワット元首相も中華系タイ人である。
中華系タイ人の先祖に当たる移民たちは1700年代ごろからタイへやってきて、ヤワラーは1782年ごろに形成され始めている。ヤワラー中華街ヘリテージセンター展示資料によれば、移民は次のように推移した。
1882-1892年:177800人
1893-1905年:455100人
1906-1917年:815700人
1918-1931年:1327600人
1932-1945年:473700人
1946-1955年:267800人
当時の移民は広東省潮州市の出身者を中心とした潮州人で、今でも中華系タイ人の多くがこのグループになる。ほかには福建人、客家人、広東人、海南人がタイへとやってきた。
当時の移民たちは現在のような裕福な者はおらず、港湾の荷役や道路工事や建設現場での労働などに従事した。現在のタイ貧困層の一部を形成するカンボジア人やミャンマー人などの近隣諸国からの単純労働者と同じ仕事をしていたのだ。彼らはタイ中国間の貿易高の増加と元来の勤勉さ、結束力で財をなした。
その後、第2次世界大戦の勃発やタイ政府の政策で多くの移民がタイに帰化し、彼らはタイに同化し溶け込んだ。そのため、マレーシアやシンガポールの中華系と違い、タイでは中国語も話せず、中国のアイデンティティーすら持たない中華系タイ人も多い。
ヤワラーは今のタイ経済を牛耳る人々の故郷であり、地域の発展の頭打ちで取り残された場所でもある。いい意味でも悪い意味でも昔が残っているこの街だが、地下鉄開通で大きく飛躍し、その姿は跡形もなく消えるかもしれない。東南アジアの混沌をタイで見たければ、まさに今、ヤワラーに行かなければならない。
<取材・文・撮影/高田胤臣 (TwitterID:@NaturalNENEAM>
地下鉄開業に次世代の夢を託す老舗料理店店主
(Twitter ID:@NatureNENEAM)
たかだたねおみ●タイ在住のライター。最新刊に『亜細亜熱帯怪談』(高田胤臣著・丸山ゴンザレス監修・晶文社)がある。他に『バンコクアソビ』(イースト・プレス)など
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