ロンドン再封鎖16週目。最終回・英国社会は「新たな段階」に。<入江敦彦の『足止め喰らい日記』嫌々乍らReturns>

左派、右派問わず首相の責任を追及する

『Failures of State』

ジョナサン・カルバート・著『Failures of State』、Look Back in Anger (怒りをこめて振り返れ)は英国のお家芸。コロナ禍は彼らを再び「怒れる若者たち」に変えたのかもしれない。

 ひとつはターニングポイントになった8月。浮かれポンチキ騒ぎの英国人たちについての「夏には色々と自由に行動しても良いという判断は、検査と追跡でウイルスをモグラたたきのように制御できるという前提があってのことだった」という一節。政府チームはアーケードで野次馬の子供に失笑されるくらい叩けていませんでした。  そしてもうひとつは9月の後半、あきらかに第2波が津波の様相を見せ始めているのに謎の楽観視を続ける首相の態度をして「政府には、あらゆる局面で、最小限のことを、できる限りゆっくりやるよう、イデオロギー的な圧力がかかっていた。そのせいで、ぬかるみのような淀んだ空気が漂っていた」という言葉。  わたしはクンスバーグのこの特集を何度も読み返すことになるでしょう。たとえコロナ禍が去っても。なぜならばわたしたちはこの怒りを忘れてはいけないと感じるからです。当たるを幸いに〝失われた一年〟について描かれた書籍を読んでいますが、どの本にも共通しているのは右寄り、左寄り問わず、政府とジョンソン首相の責任を追及する姿勢です。  これまで読了したなかでとりわけ印象的だったのは高級紙タイムズ日曜版のジャーナリストであるジョナサン・カルバートの著書『Failures of State: The Inside Story of Britain’s Battle with Coronavirus Hardcover』です。かなり売れているにも関わらず、そして政治色のある書籍に対して点の渋いアマゾン読者にして五つ星のレビューが現時点で85%という高評価。  この本の怒りは静かで、それでいて非常に熾烈でした。「読まれるべき本」なる表現がわたしは嫌いですが本書は間違いなく読まれるべきだと感じましたね。コロナ対策に対して抱いていた疑問の数々が「なるほどそういうことだったのか」と腑に落ちること頻り。決して感情論に流されないので引っ掛かりが少なく僅かに物足りないぶん読みやすい。

英国の「市民の勝利」と日本の評論芸人のレベルの差

 英国のコロナ禍を制したのはもちろんワクチン絨毯爆撃です。が、より高い視点から眺めればフランス革命にも似た〝市民の勝利〟であったのがよくわかりました。NHSの甚大な犠牲精神のうえに築かれた国民の善意がいまの平穏に繋がっています。この世の中に無垢な善意なんて、そんなもんどこにあるって鼻で笑われそうですけど。わたしも確かに見ました。  途中からこれは日本でも出版されるべきだと考えながらページを捲っていました(もうどこかが版権取得済みかもしれません)が、ロートル漫画家の屑みたいな譫妄(せんぼう)症的陰謀論的ただの風邪教典を出版なさった大手の出版社さんは責任としてこれを上梓してはいかがでしょう。出版界の惨状は重々承知して我が身にも染みておりますが、売れるからって「出しちゃいけない本」もあるはずなんですけどね。  日本でコロナ禍がさほどの猛威を振わなかったのは未だ立証されていない人種的なアドバンテージと、けれど大半は生活習慣のおかげです。ただの風邪だったからなんかではない。いやいや、日本人はがんばりましたよ。英国とは異なる形での〝市民の勝利〟と言ってもいい。ときに従順が過ぎる辛抱強い国民性が美質として現れたと申せましょう。  わたしが件の漫画家を許せないのは、市井に生きる人々の血の滲む我慢や汗の匂いがする諦念を「コロナ脳」なんて名付けて馬鹿にする態度です。  この人の資料の読解力のなさは昔から。いまさら驚きもしません。というか出版社も彼がただの評論芸人なのはよくご存じのはず。まともな論壇からは相手にされていない。それを承知で新書という形態をとることによってトンデモ本に知的な箔をつける所業。出版社として恥ずかしくないのでしょうか。
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「ワクチン足りて、エチケット知る」
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