そのように、明確に女性差別と断言できなくとも、周囲の環境の「生きづらさ」は、宇宙飛行士に限らず多くの女性が体験することだろう。この「小さな出来事の積み重ねが女性を苦しめる」ことを淡々と、しかし鋭く描いた本作は、韓国で社会現象になった小説および映画『82年生まれ、キム・ジヨン』(2019)を連想させた。
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また、前述したような発言で結果的にサラを苦しめてしまった男性が、最初から最後まで差別主義者の悪人として描かれるわけではない。むしろ、彼自身も悩みの多い、どこにでもいる男性であり、最終的には相互理解が可能な存在であると描かれている。それは現実における具体的な問題の解決へのヒントになり得るものだった。
アリス・ウィンクール監督によると、前述した「宇宙飛行士の世界が、実は男性主導の社会である事に気付かされる」ようなシーンは、風刺として誇張されたものではなく、むしろ実際の女性宇宙飛行士の体験には到底およばないのだそうだ。
©Carole BETHUEL ©DHARAMSALA& DARIUS FILMS
その例の1つに、宇宙服がある。宇宙服は男性の体に合わせて肩に重みがあるように作られているため、肩より腰が強い女性の体にとっては負担が大きくなってしまうのだそうだ。その上で「女性宇宙飛行士は、この男性社会に参入するために2倍の努力をしなければならず、さらには女性としての存在を感じさせないよう立ち回らなければいけないのです」と、監督は語っていた。
さらに、監督は宇宙飛行士のコーチから「男性の宇宙飛行士は子どもについて誇らしげに語るのに対し、女性の宇宙飛行士は母親である事実を、まるで信頼を失うことを恐れているかのように隠す傾向がある」ことを聞いたと言う。監督はその理由を、「子どもは母親の責任であるという一般論が背景にある」と考えたのだそうだ。劇中の主人公のサラのように、やはり女性宇宙飛行士は「母親」であることが重荷になるのだろう。