本作は実在の人物であるメアリー・アニングへのアプローチそのものが独特だ。何しろ、実際のメアリーが同性愛者であったという確かな証拠はないようだ。劇中の恋愛模様は、ほぼほぼ創作と言っていいだろう。自身も同性愛者であるフランシス・リー監督によると、古生物学者であるメアリー・アニングの資料をどれだけ読み漁っても、同時代の人が彼女について書いた本が皆無に等しかったため、独自の解釈でメアリーという女性を追うことを決めたのだという。
© 2020 The British Film Institute, British Broadcasting Corporation & Fossil Films Limited
そして、1840年代当時のイギリスでは女性が男性の従属的な立場にあったこと、メアリーが実際に社会的地位と性別のために歴史からかき消されそうになったことからも、監督は「男性との関係を描く気になれなかった。彼女に相応しい、敬意のある、平等な関係を与えたかった。メアリーが同性と恋愛関係を持っていたかもしれないと示唆するのは、自然な流れのように感じられたんだ」と語っていた。
実際には「そうではないかもしれない」実在の人物を、同性愛者として描くということに、抵抗を覚える方もいるかもしれない。だが、監督は「社会的にも地理的にも孤立し、完全に心を閉ざしてきた女性が、人を愛し、愛されるために心を開き、無防備になることがどれだけ大変かを描きたかった」と、本作の主題を述べている。それは確かに、前述したような、数々の苦悩を経て人嫌いになったのであろうメアリーが、自分とは正反対のシャーロットに惹かれていくという同性愛の関係の変化があってこそ、見事に表現されていたのだ。
そのメアリーを同性愛者として描いたことはメアリーの親戚から異論を唱えられるなど物議を醸していたのだが、一方で「メアリーの精神を尊重していれば問題はない」などの好意的なコメントをする者もいたという。実際の映画で描かれる、メアリーの豊かな人間性や、その苦悩、そして彼女が救われるかのような刹那な恋愛を見れば、故人を貶めるようなものと思う方はまずいないだろう。
また、実際のメアリーが同性愛者であったという証拠はないが、劇中のシャーロットをはじめとしたキャラクターはもちろん実在の人物であるし、メアリーが女性であったがゆえに古生物学者としての正当な評価をなかなか得られなかったこと、彼女が生涯独身だったことなどは、れっきとした事実である。ほぼ創作であっても、「本当のこと」にもしっかりと目を向け、誠実なアプローチがされていることは間違いない。
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ちなみに、メアリーがシャーロットと知り合った6年後、32歳のメアリーは上流階級の令嬢と知り合い、文通もして、身分や年齢を超えた友情を育んでいたという事実もあるそうだ。やはり、メアリーの人生には女性との(実際は恋愛でないかもしれないが)関係があった……ということからも、監督の言う「同性と恋愛関係を持っていたかもしれないと示唆する」のは、自然な流れなのだと納得できた。