誰もが、人生の始まりは圧倒的に弱い存在として生まれてきた
「人が生まれてくる」というプロセスは、赤ちゃんにとっても母にとっても本当に命がけのプロセスです。そこに事前の練習はなく、たった一度の本番だけです。人は命がけで生まれてきます。人は生きていると、自分が強いと思い込み、自分の思い通りになるという錯覚に陥ることがあります。
ただ、人生の始まりは圧倒的に弱い存在として生まれてきます。誰かが懸命にいのちを育んでくれたからこそ、人は生きています。人は一人では弱く生きていけない存在だからこそ、愛を与え合い、愛を受け取り合い、多くの人と協力して支え合います。
そうしたことを、人生の始まりで自分自身の体験として学びます。人は、両親だけではなく、あらゆる人の助けを借りてやっと生き残ることができる弱い存在です。
人生の始まりは「外に出たい」という強い意志と、命がけの勇気により始まります。そして、外界では弱い存在を支えようとする誰かの愛の力も、命を保つために重要です。「生まれる」そして「生きる」ということは本当に大変なことなのです。
だからこそ、人のいのちの奥底には困難を乗り越える力も同時に備わっているのではないかと思います。裸一貫で知識も経験もなく、勇気をもって生まれてきた時を思い出してほしいのです。そうした生命が誕生する瞬間は、どんな人にも共通体験として奥底に内在されています。
出会いのために、出会うために、人は生きているのではないか
どんな人にも、必ず誕生日があります。それは、忘れがちになる「誕生という体験」そのものを、少なくとも年に一回は思い出させてくれる内省的な日でもあります。そして、内なるいのちの受胎を、外なる世界に対して表現する日でもあります。
人生に意味があるのかどうか、それは哲学的な命題であり、普遍的な解答は見つかりそうにありません。ただ、人は誰かとの出会いにより、人生の深い意味を発見することがあります。出会いのために、出会うために、人は生きているのではないかと思います。人生の苦難も、誰かとの出会いにより、人生の深い意味として立ち上がってくることがあります。
生きているからこそ、そうした人と人との出会いも起こりえます。誕生日とは、挫折や栄光も含めて、人生の始まりから考え直し、すべてを真っ新(まっさら)にして生きなおすためにも大事な日なのではないでしょうか。