「宗教2世問題」メディアによる不用意な一般化と「コンテンツ化」への危惧<NHK特集から見える第三者にとっての課題(1)>

コンテンツとして消費するメディア

 ハートネットTVはそもそもカルトの問題に触れておらず批判もしていない。だから「カルト2世」への差別問題には関係がないように思えるかもしれないが、そうでもない。  根本的な問題は宗教団体の方にあるのに、2世の親子関係の特殊性しか見せていない。それでいて、「宗教」として一般化しているように見えるものの実際には、一般的な多数派宗教とは明らかに別種の「特殊な信仰」のみを取り上げていた。極端な言い方をすれば「変な信仰を持つ親に育てられてしまった子供」という一般化の足がかりになりかねない。  ハートネットTVの内容が直接差別を助長するとまでは言わないが、NHKという最大手のメディアが幅広い問題意識を発揮せずに当事者の語りを並べて「コンテンツを作る」という手法をとる。これが2世問題報道のスタンダードになれば、コンテンツとして消費する輩が現れる。映像分野にしろ文字の分野にしろ、メディアにはそういう輩がいくらでもいる。  実際、それはNHKより前にすでに起こっている。昨年2月に放送された、AbemaTVの2世問題特集だ。 ●宗教を信仰する家庭に生まれた子どもの苦悩 “2世信者”に信教の自由は?  これもまた「宗教を信仰する家庭」という一般化の問題を孕んだ番組だが、番組内で流されたVTRはNHK同様、当事者自身の苦悩に向き合う内容ではあった。ところがAbemaTVの場合は、VTRの後に専門家でも当事者でもないタレントたちがスタジオで、2世問題そのものではなく「信仰の自由がどうたら」等々の抽象的な持論の開陳に花を咲かせた。2世たちの苦悩を記録したVTRが、タレントのトークショーの添え物にされた形だ。  これがメディアによる消費、あるいはこの手のコンテンツを好む人々による消費だ。  これまで2世問題をテレビ等の大手メディアが取り上げる機会は少なかったが、そもそも2世問題に限らないカルト問題全般も同様だ。刑事事件化したり有名人がからむ話題性があったりしない限り、テレビは基本的に「カルト問題」に関わる問題には手を出さない。教団からのクレームのリスクと話題性を天秤にかけて、話題性が勝る時しか手を出さないし、手を出す場合もクレームを恐れて特定団体への批判は抑制的になる。  さすがにNHKともなれば、芸能人のゴシップ的な話題でドキュメンタリーを作ることもしないだろう。これはクレームを恐れてというより、民放よりは品性があるということかもしれないが。  一方で2世問題の場合、教団名を出さなくても宗教団体への批判をしなくても、苦悩する当事者のストーリーをなぞれば、具体的な内容を伴ったドキュメンタリー風のものはできる。教団からのクレームというリスクを冒さずに、「多くの視聴者が知らない特殊な世界」をコンテンツにできる。  メディアにとって2世問題は、カルト問題の中では比較的取り上げやすい。近年、当事者による手記が何冊も出版されており、SNSでの当事者たちの発信も活発になっている。取材対象を見つけることも、さほど難しくなくなっている。  私が「コンテンツ化」を危惧するのは、これが理由だ。今回のハートネットTVには、上記のような下世話さはない。しかし民放や新興ネットメディアや低劣な書き手がこれを見て「うちでもできるじゃん」と乗っかってくれば、「特殊な世界」に触れるコンテンツとして消費される。そうなれば差別も助長される。  ハートネットTVの直接の問題点以外も含めて散々ネガティブなことを書いたが、次回は「カルト2世ではなく宗教2世」という捉え方の意義やメリットについて考える。 <取材・文・写真/藤倉善郎>
ふじくらよしろう●やや日刊カルト新聞総裁兼刑事被告人 Twitter ID:@daily_cult4。1974年、東京生まれ。北海道大学文学部中退。在学中から「北海道大学新聞会」で自己啓発セミナーを取材し、中退後、東京でフリーライターとしてカルト問題のほか、チベット問題やチェルノブイリ・福島第一両原発事故の現場を取材。ライター活動と並行して2009年からニュースサイト「やや日刊カルト新聞」(記者9名)を開設し、主筆として活動。著書に『「カルト宗教」取材したらこうだった』(宝島社新書)
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