「宗教2世問題」メディアによる不用意な一般化と「コンテンツ化」への危惧<NHK特集から見える第三者にとっての課題(1)>

「国歌を歌えない」は2世問題なのか

 ハートネットTVにも登場したエピソードだが、学校で国歌や校歌を歌えない、というケースがある。特に異教の要素があるもの、偶像崇拝、セレモニー的なものを避ける教えがあるものみの塔に顕著だ。争いや暴力を否定するため運動会の騎馬戦や武道関連の授業への参加を禁じられていたりもする。  これももちろん2世問題の一端ではあるが、宗教性のある行事や「国歌」に関しては、必ずしも親や宗教団体側の問題とは限らない。  七夕だのハロウィンだのクリスマスだのといった行事は基本的に子供にとって楽しいものかもしれないが、「君が代」を歌いたくてしょうがない子供がいるだろうか。別に歌わなくてもいいだろうし、信仰ではなく政治的信条から「歌わない」ことを積極的に選ぼうとする大人だっている。  子供がやりたいと思っているのに、親や宗教団体のせいでやらせてもらえない。それは辛いだろう。だが、後ろめたく感じる必要がないことを後ろめたく感じさせてしまうなら、それは親ではなく社会や学校の問題だ。  また人権に関して特に問題がない宗教で、何かしらの理由で国歌全般あるいや君が代を否定する教義を持つ宗教だったらどうだろう。外国出身の宗教マイノリティの子供はどうだろう。彼らが仮に宗教的な理由で君が代を歌わないとしたら、それを後ろめたく感じなければならないのだろうか。  特に外国出身の宗教マイノリティを意識するなら、問題は「君が代」にとどまらない。異教の要素があると見なされる類の学校行事への不参加、食事その他の禁忌や服装等、様々な場面で生まれる「他の多数との違い」。これによって後ろめたさや居心地の悪さを感じさせてしまうとしたら、それは2世問題ではなく学校問題だ。  理想を言えば学校や社会は、2世やその親がどのような宗教を信じていようが、他人に迷惑をかけない限りは臆せず伸び伸びと生きていける場所であるべきだ。しかし実際には、おそらくそうではない。

差別、アウティング、いじめという社会の問題

 さすがに宗教マイノリティの存在等まであの番組の中に盛り込むべきだとまでは言わないが、学校や社会の不寛容さを意識しない一般化は差別の足がかりになるという問題意識が感じられない点が残念だった。  私はカルト問題の中でも特に幸福の科学に関連する問題の取材に力を入れている。幸福の科学にはものみの塔のような事細かなタブーはない。学校等での日常生活で他人から奇異に見られるたぐいの様式はない。しかし教祖の霊言等、奇異なもの滑稽なものとして見られてしまう要素が強い。  複数の幸福の科学学園の卒業生から、「履歴書に幸福の科学学園卒」と書かれていることから生まれる差別の体験を聞かされる。アルバイトの面接や就職活動時に、それをネタにからかわれたり説教をされたりする。学園卒業後に一般の大学に進み幸福の科学から退会したのにこうした差別を受けるばかりか、ゼミ生たちの前で教員から学園卒であることを冗談のネタにされるというアウティングめいた体験を語る2世もいた。恋人の親から「たとえ退会していても、そんな宗教を信じている家の子供は認めない」と言われ別れさせられたという話も聞かされた。  すでに信仰を捨てている2世ですら、これだ。もしかしたら、創価学会など他の新宗教系の学校を卒業した人の中にも共通する体験の持ち主はいるかもしれないし、伝統宗教系でも差別の口実にする人はいるかもしれない。  地方の場合、本人が言わなくても近所の人の間では一家の信仰が知られている場合もある。2015年に幸福の科学信者である高校生が祖父母を殺害した事件の公判を私は傍聴したが、そこではその高校生が学校でいじめられており、幸福の科学信者であることもいじめの口実にされていたことが語られていた。彼は高校をやめ幸福の科学学園に入り直すために金が必要と考えて、遺産目当てで祖父母を殺害した。  私はときおり大学でカルトについて講義することがある。2世問題にも触れる際には、必ず「差別はだめだ」という注意を付け加える。2世だろうが1世だろうが、カルト信者にだって人権がある。また宗教コミュニティ外の人々との親交は、2世が自らの力で広い視野や考えを獲得していく上で大きな助けになる。学生たちには「常識や習慣がちょっと違うと感じても、細かいことは気にせず他の友人と同じように普通に接してほしい」と伝えている。  大学で数百人の学生を相手に講義をしていると、当たり前だが、中には何かしらの宗教の2世である学生がいる場合もある。幸福の科学学園の卒業生だという学生が声をかけてくれたこともある。別の宗教の2世だという学生が、悲しそうな顔で「うちの宗教もやっぱりカルトなんでしょうか」と質問に来たこともある。このときは「私はカルトだと思っているが、あなた自身が誰かに迷惑をかけていないなら、あなたは何も悪くない。後ろめたく感じる必要はない」と答えた。  2世の人々は、信仰を自分で選択しておらず親の影響で事実上の強制や、あるいは当然のこととして入信させられているケースが大半だ。そんな彼らに後ろめたさを抱かせないためにも、差別へのストッパーは常に明確にセットでなければならない。特にカルト問題や2世問題など、一般的にはその複雑さを知る人があまり多くないテーマを語る際にはなおさらだ。
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