差別発言辞任の森喜朗が、自著に綴った「五輪に賭ける熱い思い」から見える東京五輪の行く末
愛国心は押し付けられるものではない
後任の人選からみる、実に「美しい日本」らしい展開
なにこのスクールウォーズ感。恐ろしいのは、この人選を森がおかしいと思わなかった感覚だ。体罰は、IОC(IОA)が、公式に、反対表明もしているにもかかわらず、である(JOC comment on inappropriate actions conducted by former Japanese national Judo coach | JOC – Japanese Olympic Committeet)。 IОCはハッキリと「宣言」の中で「暴力はコーチングの必要な悪であるという考えを拒絶しなければならない」と体罰の根絶を訴えている(JOC Issues Directives to All Japan Judo Federation | JOC – Japanese Olympic Committee)。 このように危うくオリンピックの会長にオリンピックの理念に反した人間を指名しようとした森氏の凄まじい人権感覚。 日本の人権意識の低さを露呈してしまった事件でしたが、セクシストおじさんの次に、体罰肯定おじさんが辞退した後は、何と次は、安倍晋三とかいうホテルの領収書出せないおじさんが一瞬浮上してきた。なにこの次から次へと出てくる、期待を裏切らないダメンズ達。 しかも森氏の後を引き継いだ橋本聖子は、自らも森氏と同様に、給料を貰わずに働くと宣言。 森氏の恐るべき無償精神が、やがて報酬をビタ一文も貰わない事を美徳とする滅私奉公マインドへと変わり、それが後任の部下に押し付けられるという実に日本らしいお馴染みの展開に。森嘉朗滅私奉公部隊という新たな被搾取階級が出現しつつある。 そんなわけで東京五輪が、パワハラ、ミソジニー、ブラックの祭典になりそうな気配が凄まじくする今年。 今回の森喜朗騒動で見せた日本の醜悪なホモソーシャルな連帯地獄に、私は、日本のジェンダー後進国のガラパゴスぶりを、改めて再認識してしまい、暗澹たる気持ちにいっぱいになりました。現場からは以上です。 <文/ドリー>産経のコラム"舞の海の相撲俵論"には何時も感銘を受けているが今朝のは特別。体罰は悪だと一方的に決めつけるのではなく、このままいくと道を踏み外すかもしれないという子供には、親が先生が鬼気迫る形相でやむにやまれず手をあげることもあるだろう。そこには人間同士の魂と魂のぶつかり合いがある。
— 川淵三郎(日本トップリーグ連携機構会長) (@jtl_President) July 4, 2019
本名・秋田俊太郎。1990年、岡山県生まれ。ブログ「埋没地蔵の館」において、ビジネス書から文芸作品まで独自の視点から書評を展開中。同ブログを経て、amazonに投稿した『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』レビューが話題となる。著書に、村上春樹長編13作品を独自解釈で評論した『村上春樹いじり』(三五館)がある。ツイッター:@0106syuntaro
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