差別発言辞任の森喜朗が、自著に綴った「五輪に賭ける熱い思い」から見える東京五輪の行く末

五輪ボランティア待遇の劣悪さは、ネトウヨが腐す韓国よりも下

 とまあ、こんな具合に、森氏の失言は、どこを読んでも擁護できるポイントは全くなく、全文を読めばもっと酷かった杉田水脈パターンなのだが、そもそも森喜朗の、ちょっと一般ズレした感覚というのは、どこに根源があるんだろうと興味を持って、私は、森喜朗の自著『遺書 東京五輪への覚悟』(幻冬舎)を読んでみた。  まずこの今年開催の東京オリンピックって祝典自体が、ずっと前から「ボランティアの搾取」が支えていると批判されており、開催される前からボランティアの待遇が「劣悪」ではないかという批判が殺到していた。  そういった批判に対して、森氏は、それらの批判を、力強く否定し、東京五輪は、決して「搾取」ではないと本の中で弁解する、そういう所から本書は始まる。  以下、抜粋。 「ロンドンオリンピックでも、ボランティアには飛行機代も電車賃もホテル代も一切出していません。彼らに出すのは、ボランティアに携わっているときの食事代だけです」(『遺書 東京五輪への覚悟』P68)  森氏の言い分を、一言で要約すると、こうだ。9年前に五輪を主催したイギリスもボランティアなのだから、日本が無償でも何も問題なんじゃないかって言い分だ。  確かにそう言われてみればイギリスと同様なら、日本も無償でも問題ない気がする。しかしよく調べてみるとコレは微妙に事実が異なっている事が分かってきた。イギリスの場合は、確かに飛行機代もホテル代も出ないが、開催地市内を自由に行き来できる無料旅行カードが配布される(Olympic volunteers free travel | Mayor’s Question Time)。  日本の場合は、交通費は、やっと支給されたが、せこい事に、一日1000円という上限付きだ。同じ条件だと主張しながら、イギリスより格落ちしてるやんけって話だ(笑)。  しかも、3年前の平昌 オリンピックでは、ボランティアの人に対して組織レベルで宿泊施設を提供していた(휴양림관리소, 평창올림픽 봉사자 숙소 제공[서울경제])。 いつも韓国を見下している自称愛国志士の人々は、東京オリンピックが、韓国より「格落ち」している現状に対して国辱だと憤らないのだろうか。 

森氏の発言に見え隠れする、マスコミへの怨恨

 このように不都合な事実を巧妙に隠し、平然と英国や韓国よりも劣悪な日本の待遇を、正当化する森氏であるが、さらに森氏は、新聞やテレビが、自分の言葉を切り取り、偏向報道をしていると語り、マスコミへの恨みつらみを切実に、本の中で訴え始める。  特に森氏の、マスコミへの憎みはすさまじく、よほど5年前の国歌斉唱発言で、腹に来た事があったのか。  森氏は、マスコミの報道姿勢を強く批判し、5年前、自分が、安倍総理の挨拶の後で、述べた言葉をマスコミに切り取られ、メディアに一方的にバッシングされた事を思い出し、一字一句自らの発言の何が問題があるのかと、自らの言葉が、ネットで切り取られ、自分の言葉の意図と正反対の意味が伝わり、叩かれた事に、森自身、腹の底から煮えるような憤怒を感じているらしく、力強く本の中で怒りの怪気炎を上げる。  以下、抜粋。 「最初は、祝辞でそんな話をするつもりはなかったのですが、話をしているうちに、いつの間になぜ「斉唱」が「独唱」になったのかと無性に腹が立ち、だんだんボルテージが上がって、次のようなことを言ったのです」 「口をもごもごさせて歌えないようなのがテレビに映るのが、一番気分が悪い。国歌がちゃんと歌えないようでは、日本代表ではない」(『遺書 東京五輪への覚悟』P192)  森氏はこの上記の『口をテレビの前でモゴモゴさせて国家をちゃんと歌えない奴は』発言をマスコミに切り取られ、様々な形で批判され、世間的に非難されたことを強く根に持っているらしく、その発言を批判したマスコミに対し、痛烈な反論を寄せる。 「国家斉唱というのは、オリンピックの「日本代表選手団としての行動規範」にきちんと書いてあることなのです」(『遺書 東京五輪への覚悟』P197)   確かに、森氏の言う通り、選手の行動規約には「国家を歌う事」がハッキリと明記されている。確かに森氏の仰る通り、TPОやルールを守らない選手が居たら、スポーツは成り立たないだろう。
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愛国心は押し付けられるものではない
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