NHK、「宗教2世」番組を放送。カルト2世問題を“宗教”に一般化する危うさ

ミスリードも

 この種の社会問題を扱う際の制作側の問題点は、番組のツイッターでも露わになった。放送当日、ハートネットTV公式ツイッターに番組ディレクターがこうツイートした。 “「親は憎くないのか」という問いかけに当事者たちの答えは「憎くはない」でした“〈出典:twitter|NHKハートネット@nhk_heart  筆者は引用ツイートで番組制作側の型の嵌め方やミスリードに苦言を呈した。 “親や当該団体を憎む2世も少なからず存在する。「親を憎むべきではない」が”正しい2世の心構え”としてスタンダード設定されてしまうことは、2世の多様性の否定になりかねない。「取材した範囲では~」等のエクスキューズを入れるべきだと思う“〈出典:twitter|鈴木エイト ジャーナリスト@cult_and_fraud  すると放送翌日、同アカウントにやはり番組ディレクターの表記とともにリプライがあった。 “取材時、「親は憎くないのか」という問いかけに当事者からは「憎くはない」という答えもあり、 一方で、「親が憎い」と感じる方も“〈出典:twitter|NHKハートネット@nhk_heart  取材時、実際にそのような反応があったのであれば、当事者の声を黙殺するような発信は避けるべきだった。また、当事者の一方の“主張”を全体のスタンダードとして提示する傾向が番組側にあるとしたらそれも問題だ。

俯瞰する視点なし、当事者が見ないものとは

 前述の通り、制作側は当初「カルト宗教2世」をテーマに動いていた。それが「宗教2世」となった経緯に、2世問題を読み解くポイントがある。取材者・メディアには第三者として俯瞰する観点が求められる。当事者が見ようとしない、見えないところに問題の核心があり、その可視化こそメディアの役割である。  親(1世)から子ども(2世)への加害性や加虐性はどこからもたらされ何に由来するのか、包括的に捉える視点は見出せず、全体の構図が示されないまま番組は終了した。視聴者は単に「宗教が悪い」「宗教は怖い」と思わなかっただろうか。
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「カルト2世」という言葉を忌避することが導く懸念
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