禰豆子は、鬼になり自らを噛んだ炭治郎に向けてこう言う。「どうしていつもお兄ちゃんばっかり苦しいめにあうのかなあ。どうして一生懸命生きている優しい人たちが、いつもいつも踏み付けにされるのかなあ」と。これは、病気に限らず様々な理不尽に苦しめられていた人たちの、普遍的な悲しみを背負った言葉だ。
そして、全ての戦いが決着した後に、こう綴られる。「光り輝く未来の夢を見る。大切な人が笑顔で、天寿を真っ当するその日まで、幸せに暮らせるよう、決してその命が理不尽に脅かされることがないよう、願う」と。そして、最終話では現代の東京の、輪廻転生をした者や子孫たちによる、平和な世の中の日常が描かれる。
この『鬼滅の刃』にあるのは、明確に「病気や理不尽に優しい人たちが苦しめられることがありませんように」という願いだ。そして、劇中で鬼に立ち向かい、総力を結集して無惨を倒すまでの登場人物の戦いは、およそ100年後の幸せな日々にも繋がっているのだ、と。
今の新型コロナウイルスとの戦いに身を投じている医療従事者や研究者も、「いつか、きっと」とこの先の平和な世の中への希望を得られるのではないだろうか。もちろん、そうではない、ただ一生懸命に生きている、全ての優しい人たちにとっても。
先日、新型コロナウイルスに感染した30代の女性が、「自分のせいで周りに迷惑をかけてしまった」などの理由で、自ら命を絶ってしまうという、痛ましいという言葉では足りないニュースが報道されていた。
新型コロナウイルスをはじめ、病気にかかった人は、そんなことは思わなくていい。『鬼滅の刃』でも、戦いを終え鬼と化した時の後遺症が残っている炭治郎が「傷が残るだろうなあ……みんなにも申し訳ないよ」と言うと、禰豆子が「そんなこと気にする人いると思う?もう謝るのはなし。次謝ったらおでこはじくからね」と珍しく怒るシーンがある。病気にかかっても、後遺症が残っても、そこに罪悪感を持つ必要なんてない。
そして、最終巻の23巻の、単行本の書き下ろしのメッセージは、こう締め括られている。「生きていることはそれだけで奇跡、あなたは尊い人です。大切な人です。精一杯生きてください。最愛の仲間たちよ」と。
読者を(劇中の登場人物と同じく)「最愛の仲間」であり「大切な人」だと言ってくれる吾峠呼世晴先生の言葉の、なんと優しいことだろうか。物語上ではたくさんの命が奪われてしまう『鬼滅の刃』だが、だからこそ1人の命がいかに尊いものかということも、今一度教えてくれるようでもあった。
この『鬼滅の刃』のメッセージが届けば、少しでも新型コロナウイルスの影響で、自ら命を絶とうするまでに追い詰められている人を救えるのではないか。筆者もまた、少しでも理不尽に苦しめられる人がいなくなるように、願っている。
<文/ヒナタカ>