平和憲法を嗤う『百田尚樹の日本国憲法』に漂う、「平和ボケ」感

想像を超える無知っぷりに戦慄するしかない

 そもそも災害時に、関東大震災では、憲兵による思想家(大杉栄、伊藤野枝)の殺害や、亀戸事件(労働運動者10人の虐殺)が起こっていますし、日本軍の真珠湾攻撃の直前において事後検閲は突如「事前検閲」に切り替えられ(『日本ファシズムの言論弾圧抄史―横浜事件・冬の時代の出版弾圧』高文研 P20)更にドイツでは、ソ連侵攻と共に、最初の絶滅収容所が建てられました。  権力者は災害時に「くたくた」になるから大丈夫説で百田氏は緊急事態条項を推し進めます。「無知」のパーフェクトストームです。  災害時こそ、暴君は独裁的な暴政を繰り返してきました。  ちなみにドイツやスイスの例を出して「緊急事態条項はあるだろ」と主張する百田氏ですが、スイスの場合は、緊急事態の際に、国会議員の過半数で制定され、その立法が憲法の根拠を欠く時は、時限立法を決め、国民投票で可決されない限り、1年で失効するものとされています(衆議院欧州各国憲法調査 スイス連邦憲法165条2項、3項)   さらに、ドイツでは、議会が開催できない場合には、合同委員会(議員の会合)によって法律が制定され、更に、その法律も、議会の要求によって廃止できる上、期限付で失効し、抵抗権まで付与されています(『現代ドイツ憲法史―ワイマール憲法からボン基本法へ』塩津徹・成文堂 P238)。   しかし日本の自民党の提案した「叩き台」の文面には、内閣の政令が「法律と代わる」と明記され、内閣の解釈で「緊急事態条項の宣言や延長」ができる仕組みになっていて、内閣に永続的に立法権が集中しかねない仕組みになっています(憲法改正に関する議論の状況について)。  確かに、世界中に緊急事態条項があるのは常識ですが、自民党の改憲草案のような、一方的に権力が、内閣に集中する緊急事態の条項は世界の常識から照らし合わせても非常識です。

百田氏自身が嫌う「平和ボケ」がふんだんに詰まった奇書

 しかも、この場合、国会で118回もウソを付き続けた首相に権力が集中する場合もあるわけですから、国会でウソを付いた人間が、権力の操縦桿を握る。これこそ緊急事態だと言わざるを得えません。さらに、ホテルの明細書も出せない初めてのお使いの子供以下の総理大臣が、有事の際に、権力の操縦桿を握るなんて、チンパンジーが盲腸の手術をするぐらい不条理感があります。  そして百田氏は、災害の際に様々な可能性を想定する事の重要性を訴えながら、再度、力強く、危機に対応する為の、緊急事態条項の創設を訴えます。 ”有事の際は、想定外のことが起きるものです。それらをすべて事前に予測して、法律として整備しておくなど不可能です”(「百田尚樹の日本国憲法」P28)  これも全く訳が分かりません。百田氏が主張する様に「何が起こるか分からないから様々な可能性に想定すべきだ」というのであれば、緊急事態を口実にして為政者が人権を侵害する「可能性も想定すべき」でしょう、なのに百田氏は、その可能性は絶対にないというのです。  これこそ彼らの忌み嫌う「平和ボケ」と言うやつではないだろうか。いやマジでこんな本が売れてる日本ってヤバくないでしょうか。百田尚樹の様な、戦前の人権弾圧に対して無関心である人間の憲法改正は、益々危険極まりないものであると、私は更に確信し、憲法の理念を死守し、憲法の改悪は断固として許さないぞと決意を新たに固めました。現場からは以上です。 <文・リサーチ/ドリー>
本名・秋田俊太郎。1990年、岡山県生まれ。ブログ「埋没地蔵の館」において、ビジネス書から文芸作品まで独自の視点から書評を展開中。同ブログを経て、amazonに投稿した『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』レビューが話題となる。著書に、村上春樹長編13作品を独自解釈で評論した『村上春樹いじり』(三五館)がある。ツイッター:@0106syuntaro
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