集団主義的傾向の主にアジア人は、個人主義的傾向を持つ主に西欧人に比べ、自分が所属している集団ー同じ会社のメンバーや取引先、自身が住む地域や近所の人々などーに対し、否定的な感情を見せることを否とし、愛想笑いを含め肯定的な感情を見せることが推奨されます。
一方、自分が所属していない集団ー自分が属していない会社のメンバーや道端でたまたますれ違った人々などーに対しては、否定的な感情を見せても構わないとされています。こうすることで自分が所属している集団の調和が保たれ、他の集団との間に壁が出来、自分が所属している集団の結束を高めることが出来ると考えられています。
一方、個人主義の場合、自分が所属している集団に対し、否定的な感情があればそれを自由に見せることは許容され、自分が所属していない集団に対しては、否定的な感情を見せることを否とし、肯定的な感情を見せることが推奨されます。
こうすることで自分が所属している集団と他の集団との壁をなくし、集団間の移動をしやすくしているのだと考えられています。欧米人に観られる引っ越しや転職の多さはこの現れなのかも知れません。
みなさんもこうした傾向の典型例をよく目にすると思われます。例えば、私はカフェでこうした傾向をよく目にします。飲み物をオーダーし、それをカウンターで受け取るタイプのカフェにおいて、笑顔で「ありがとう!」と言っている欧米人をよく見かけますが、日本人は大抵無表情です(特に男性の無表情は怒り表情と誤認される傾向にあるため、通常、無表情は良い印象を与えません)。
軽く会釈をする程度は目にしますが、笑顔で「ありがとう」という日本人は欧米人に比べ、極端に少ないように思えます。
このような傾向はあるのですが、個人主義・集団主義問わず、家族や親友のように自分にとって最も親密な関係の集団に対しては、ときに様々な感情を自由にあらわすことが許容されます。
たとえ、それが否定的な感情であっても大目に見てもらえるのです。素の自分を出しても問題ないと思えるからこそ、言い換えるならば、気を遣い過ぎて疲れてしまう必要がないからこそ、普通の友人から親友になり、恋人から夫婦になり、後輩から相方になり、長年付き合い続けることが出来るのです。
また、感情は私たちを心穏やかに生存させるために備わった機能です。逆に言えば、常に感情が動いている状態とは、常に心が穏やかになっていない状態、すなわち、ストレスを抱えている状態を意味します。
目の前の相手に常に感情的になる必要があるとすれば、その人物は心を乱す存在であり、その人物と落ち着いた関係を築くことは出来ません。感情の乱高下がないことこそ、平穏かつ平和な関係が続くカギなのです。
矢部さんの写真に対する岡村さんの無表情は、岡村さんが矢部さんを家族や親友のように思っているからこそ、遠慮なく自分の素を出すことが出来、同時に、心を穏やかにしていられる、そんな現れであったと考えられます。
※心sensorという人物の表情を自動分析する感情認識AIアプリケーションで測定されました。心sensorは、株式会社シーエーシーによって開発された商品です。〈
参照〉
【参考文献】
Matsumoto, D. (1996). Unmasking Japan: Myths and realities about the emotions of the Japanese. Stanford, CA: Stanford University Press.
<文/清水建二>
株式会社空気を読むを科学する研究所代表取締役・防衛省講師。1982年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、東京大学大学院でメディア論やコミュニケーション論を学ぶ。学際情報学修士。日本国内にいる数少ない認定FACS(Facial Action Coding System:顔面動作符号化システム)コーダーの一人。微表情読解に関する各種資格も保持している。20歳のときに巻き込まれた狂言誘拐事件をきっかけにウソや人の心の中に関心を持つ。現在、公官庁や企業で研修やコンサルタント活動を精力的に行っている。また、ニュースやバラエティー番組で政治家や芸能人の心理分析をしたり、刑事ドラマ(「科捜研の女 シーズン16・19」)の監修をしたりと、メディア出演の実績も多数ある。著書に『
ビジネスに効く 表情のつくり方』(イースト・プレス)、『
「顔」と「しぐさ」で相手を見抜く』(フォレスト出版)、『
0.2秒のホンネ 微表情を見抜く技術』(飛鳥新社)がある。