吉田容疑者が女性を殺害した背景には、都市がどのようにして投機の対象に、金融資産になっていくのかという視点があってもいいのではないだろうか。
笹塚では駅前が再開発され、商業施設・フレンテ笹塚などが入るメルクマール笹塚が2015年に開業した。先述したように、新宿にも渋谷にもすぐに出ることができる利便性の高い地域である。
幡ヶ谷原町バス停の周辺の路線価は1平方メートルあたり54~56万円だ。参考として、中野通りを北上したところにある西武新宿線の新井薬師前駅の近くだとこれが42~43万円になり、西武新宿線を越えると40万を切るくらいだから、やはり、垢抜けて、かつ便利な立地だけあって幡ヶ谷も笹塚も、土地や家屋の資産価値はかなり高い。
下町的な情緒がありながら、一方で土地の資産価値が高い。再開発も進んでいる。幡ヶ谷も笹塚も、環状6号線(山手通り)から環状7号線は、単身の労働者を吸収するために作られた安アパートが並ぶ木賃ベルト地帯とも呼ばれる一帯に位置している。
が、一方で木賃アパートに集う若者や学生などといった層が作り出した文化や生活上の熱気や密度を町の魅力に転化している。そのような街で、吉田容疑者は母親と一緒に家業の酒店を手伝っていた。
そして、地域の魅力を資産価値に転化することができた街で起こっているのは、資産価値を下げるような行為に対する排除である。
別の場所だが都市や住宅が投機の対象となる中で、横浜ではタワーマンションの住民が最寄駅であるみなとみらい線・馬車道駅での路上生活者の排除を訴えているという事例もある。
横浜市中区では、2018年にも横浜スタジアム周辺で路上生活者の生活用品が首都高速道路会社により予告なしに撤去されるということがあった。
東京でも、2018年には港区青山での児童相談所を軸とした複合施設の建設に対し、地域住民が「迷惑施設である」、「価値が下がる」といった理由で建設に反対するなどといった事例があった。幡ヶ谷のある渋谷区でも、宮下公園にミヤシタパークが建設される過程で野宿していた人々が追い出される、といったことがあった。資産価値のある土地を防衛する、というのは土地や住宅を、その資産価値を考えながら選択する層にとっては非常に重要な問題だ。
今回の事件も、ナイキや渋谷区が路上生活者を追い出すように、吉田容疑者も都市の浄化を自発的に行っていた、そしてそれをやり過ぎてしまった、とも捉えられる。
タワーマンションの住民などが行政や鉄道会社に路上生活者の排除を求めるように、自分が住む地域に路上生活者が侵入することを拒んだ、ということだ。そして、首都高速道路会社が路上生活者の荷物を撤去するような手つきで、女性を殺害してしまったのである。
吉田容疑者の行動が表しているのは、都市や地域の文化といったものが、土地や建物の資産価値に翻訳、変換される過程で、路上生活者が排除すべき対象として現れる、ということでもある。彼がどれほどそのことを意図していたかはわからないが、排除は資産の防衛という性格も持っている。
生活に困窮した路上生活者は不可視化される、と一般的に語られる。だが、ときに強く可視化される。排除の対象として、である。そこでは排除される側の生活や事情などは顧みられることはない。
都市が資産としての価値で測られることにより、人は「モノ」になっていく。人格はカネに置き換えられる。住居は居住のためのものではなく、金融商品となる。資産としての土地や住居を持つ層も、都市の歴史や文化的地層を資産価値でしか計れなくなり、資産がない、資産価値を脅かすような層は端的に、資産防衛のために排除される。
事件の背景には都市の浄化がもたらす諸々の問題がよこたわっている。
<文・撮影/福田慶太>
フリーの編集・ライター。編集した書籍に『夢みる名古屋』(現代書館)、『乙女たちが愛した抒情画家 蕗谷虹児』(新評論)、『α崩壊 現代アートはいかに原爆の記憶を表現しうるか』(現代書館)、『原子力都市』(以文社)などがある。