人々を“子供化”する権力の問題<デビッド・グレーバー追悼対談:酒井隆史×矢部史郎>

2012年、イタリアのオキュパイ運動でのデビッド・グレーバー

2012年、イタリアのオキュパイ運動でのデビッド・グレーバー (Photo by Pier Marco Tacca/Getty Images)

 世界的に著名な人類学者であり、活動家でもあったデヴィッド・グレーバーが昨年急逝した。グレーバーの功績とは?日本ではいかに読まれたのか?「紀伊国屋じんぶん大賞2021」第1位も獲得した、グレーバー『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)の翻訳者である酒井隆史さん(大阪府立大教授)に、矢部史郎さんがお話を伺う。 (構成:福田慶太

高祖岩三郎氏による紹介

矢部 (昨年)7月に発売された『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』は日本でもすごく売れている。3700円(税別)の本なのに5刷だとか。 酒井 ここまで売れるとはまったく想像していなかったね。 矢部 グレーバーが広く読者を獲得したのは、2008年のリーマンショック以降ということになるのかな。 酒井 2000年代に日本ではたぶん世界に先駆けてグレーバーが紹介されたけれど、そのときは非常に限られた読者しか読んでいなかった。日本はサブさん(高祖岩三郎氏)のおかげで紹介はどこよりも早かったんだけど。  サブさんはグレーバーの友人で、グレーバーが、今のように有名になる前から親しくしていた。グレーバーがオルタグローバリゼーションの潮流のなかでのスポークスマンのひとりとして頭角を表しつつあったころ、2004年くらいからの友人かな。グレーバーの最初の地味な理論書が出たころでもある。  で、2004年に出たグレーバーのマニフェストとでもいうべき『アナーキスト人類学のための断章』(日本語訳は以文社)をサブさんが2006年に翻訳してくれた。同年に『VOL』(雑誌、以文社)が出てからも、インタビューが毎回同誌に載った。これもサブさんの手がけたもの。それが『資本主義後の世界のために 新しいアナーキズムの視座』(以文社)という、素晴らしい、日本だけで出た、そしてグレーバーの思想のエッセンスがまとまったものとして2008年の洞爺湖サミットのころに出ている。(編集部注:2009年3月刊)  サブさん以外で初めてグレーバーを訳したのが栗原康・安藤丈将の両氏。『現代思想』(青土社)での「新しいアナーキストたち」という、グレーバーが最初で最後の『ニューレフト・レビュー』に載せた論文が最初のはず(編集部注:『現代思想』 2004年5月号)。そして、グレーバーはオキュパイ運動に関わり、そのなかで仕上げた『負債論』(以文社)が世界で圧倒的な反響を呼んだ。

親しみやすかったグレーバー

矢部 以前、2008年にグレーバーが日本に来ている。 酒井 あのときは、(政治哲学者、比較文学者の)マイケル・ハートとか(社会学者・哲学者の)マウリツィオ・ラッツァラートたちも来たし、(思想家の)アントニオ・ネグリも来るという話になっていた。 矢部 ネグリは入管(入国管理局)にブロックされたけれど。 酒井 で、そういうひとたちのなかにグレーバーがいたんだけど、一番親しみやすかったし、なんにでも関心を持つというか、なんでも触りたがるこどものような感じで。いつもなにかをおもしろそうにみてる。言葉の壁があってコミュニケーションがなかなかとれないけど、でもなにかを喋りたそうにうずうずしているという感じの。強い印象を与えた。 矢部 あのとき、グレーバーは洞爺湖サミットにも来たけど、自分の印象では、大人物が来た、というようにおもえなかった(笑)。アメリカからアナキストの兄ちゃんかなにかがひとり来てるね、という感じ。 酒井 あんなに能力があるのに、集団のひとりという感じね。 矢部 指導的な知識人というより、スポークスパーソンというような。 酒井 いつも車座になって、ひとの話を聞いて。 矢部 で、カウンシルではどういう議論になってますよ、ということを伝える。 酒井 ひとの話を聞いているんだけど、でも「どうだい、デビッド」みたいに尋ねてみると、堰を切ったようにわーっとしゃべり始める。しゃべりたいのを我慢してたんだなあ、と。でも、人からなにかをいわれるとパッと黙ってしまう。ひとの話にかぶせられない。
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ジャイアンリサイタルから考える“権力と無知と暴力”
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