追悼、デヴィッド・グレーバー。誰もが考えていることを膨らませる力。<酒井隆史×矢部史郎>
ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)の翻訳者である酒井隆史さん(大阪府立大教授)に、矢部史郎さんがお話を伺う。
(構成:福田慶太)
矢部 『負債論』(以文社)や『ブルシット・ジョブ』(岩波書店)などで多くの読者を獲得した、人類学者のデビッド・グレーバーが(昨年の)9月2日に亡くなった。これからグレーバーがもっと有意義な議論を展開していくことが期待されていたときなのに、いまだに信じられないほどで。
酒井さんはグレーバーの翻訳者にして友人でもあって、とくに最近、グレーバーの著作の翻訳を酒井さんが精力的に手がけられている。そのグレーバーについて、酒井さんにお話を伺いたいという趣旨で。
酒井 そんなに距離が近いというわけじゃなくて、矢部くんが彼と近いというのであれば、それ以上に距離はあった。ほとんど直接のやりとりはなかったし。そもそも矢部くんって、日本語話者でグレーバーと対談した数少ないひとりでしょう!(対談は「対話/資本主義づくりをやめる」『資本主義後の世界のために』以文社に所収)
今読むと、この対談ではものすごく重要なことが語られている。でも、グレーバーというひとはなんか「友人」「仲間」という感じをさせたよね。というか、かれは、われわれにとってまぎれもなく「仲間」であり「友人」であり「同志」だった。
矢部 はい、対談している(笑)。ものすごく重要、といわれると、やっぱりうれしいし、確かにすごくエキサイティングな対談だった。ただ、今回は僕の話はちょっと脇において、酒井さんのお話を展開してほしい、ということで。酒井さんは『ブルシット・ジョブ』以前にも『負債論』や『官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』(以文社)など、グレーバーの著作の翻訳を精力的に手がけられている。
酒井 もともとサブさん(アメリカ在住のアナキスト、高祖岩三郎氏)経由でグレーバーに対しては非常にシンパシーを持って読んでいたのが、翻訳を通じて深入りすることになったんだけど、これはほんとうにいい経験だった。
研究者として、ある意味での「喜び」というのがあるんだけど、たとえば『通天閣 新・日本資本主義発達史』(青土社)のように一次資料を扱う、という喜びもある。グレーバーの翻訳にも「喜び」があって、ちょっと強くいえばグレーバーの書くその一文一文に発見があった。説明するのが難しいけど、2010年代、日本においてグレーバーに共鳴しながら読んでいたのはほんとうに自分だけじゃないか、とすらおもっていた。当然独りよがりだけど、でも、あまりにもまわりから反応がないからそうおもってしまうというのもあって。『負債論』なんて読んでてくらくらしたし、『官僚制のユートピア』の「空飛ぶ自動車」の論文を最初に読んだときも、ものすごくびっくりした。
でもそれを言っても反応は薄いし、そもそも『負債論』、へとへとになりながら翻訳を終わって出したでしょ、で、待ってましたみたいな反応がどーんと来るとおもってたのよ。すごい本だし、そもそもあんなに世界的にはインパクトを与えたんだし。(経済学者の)トマ・ピケティは日本でもすごかったでしょう。だったら、その数分の一ぐらいの反応はあるはずだ、と。
ところが、シーン、おや、みたいな。その後数か月の反応といえば、わずかに以前からグレーバーをとりあげてくれていた『人民新聞』に紹介文を書かせてもらったぐらい。2010年代は、日本の人文社会科学もものすごく内閉化・保守化・右傾化が進んだというか、その前の20年、内閉化・保守化・右傾化が加速しているという実感はあったんで、さもありなんとはおもったけど、さすがにもう少しはあるとおもったんだよね。
でも、サッカーの本田圭佑氏が反応してくれたでしょう。これはかれ自身の立ち位置がどうあれ、すごくうれしかったし、いっぽうで日本の状況をよく示しているとおもった。
酒井 グレーバーの『負債論』が当たっているかなりの部分は地味で、名前も聞いたことのない研究者たちの名があがる。(社会学者の)アラン・カイエもいっているように、地味な研究をおもしろく語る力がすごい。『負債論』のあとがきではこう書いたんだけど。
ちょっと引用すると、「訳者自身も翻訳の過程でおもい知らされたのは、人文的知の潜勢力である。おびただしい諸領域のそれぞれにおける、他分野にはあまり知られることのない重大な研究、近年におけるブレイクスルー、あるいは研究者や知識人たちの名の遍歴を通して、グレーバーは、それら諸分野の地道な知的発展の存在を知らしめると同時に、そうした知的成果のはらむ潜勢力を独自の仕方で、ときにおどろくべきかたちでひきだしてみせているともいえる。それは、わたしたちに学問というもののいとなみの意味や悦びをも、強く感じさせてくれる」。
地味な研究、地味な領域で起こっている発見や刷新をとんでもない世界認識の転覆につなげていくというのは、人文的知での「幸せ」のあり方だろうし、そして人文的知の世界に携わるひとを励ましているよう。ある意味でいうなら、「国家のようにみる」Seeing like a state、これは(政治学者・人類学者の)ジェームズ・C・スコットの言い回しだけど、人文知のポテンシャルを国家のような見方で捉えないようにする、知のなかに潜む反乱的ポテンシャル、蜂起的ポテンシャルを解放するというか。
世界的に著名な人類学者であり、活動家でもあったデヴィッド・グレーバーが昨年急逝した。グレーバーの功績とは?日本ではいかに読まれたのか?「紀伊国屋じんぶん大賞2021」第1位も獲得した、グレーバー『
「友人」「仲間」としてのグレーバー
「資本主義がテクノロジーの進歩を阻害している」なんてなかなかおもわないでしょう。左派だって資本主義の長所として、「テクノロジーを飛躍させる」とおもいがちだから。というか、とくにマルクス派は資本主義の「革命性」なるものを愛してるところがあるしね。 ところが、グレーバーは、「資本主義は想像力の飛躍を封じ込める。しかもそれはネオリベラリズムの段階に至ってからそうなったのではなく、資本主義がもともと持つ性格に想像力やイノベーションに対し阻害的に作用する性格がある」とする。もちろん、こういったことは以前から一部の左派がいってきたことではある。たとえばフェミニストやエコロジスト。(思想家ジル・ドゥルーズと思想家・精神科医のフェリックス・ガタリの連合である)ドゥルーズ=ガタリも似たようなことをいっている。けれども、その含意をここまで明確にしたのはやはりグレーバーだとおもう。最近読んだお気に入りの本。シェアしたいと思ったくらいなので是非。 pic.twitter.com/R2l2O5xsAy
— KeisukeHonda(本田圭佑) (@kskgroup2017) May 2, 2018
地味な研究が持つ潜勢力
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