ここでは、1975~2016年における女性政策担当部局の審議会の人事を分析し、男女共同参画局/会議の成立以降、フェミニストや女性団体など市民社会のアクターが減少したことを示す。さらに、その減少した市民社会アクターのなかで、第二次計画でのバックラッシュが起こった直後の2006年以降フェミニストが減少していったことを明らかにする。
まず、審議会の委員・議員を市民社会・政府・労働・使用者の4つの属性に分けた。その内訳は上表の右側にある13の類型(市民社会には女性団体・女性政策の専門家・関連政策の専門家・ジャーナリスト・作家・市民活動家・バックラッシュ団体などが、政府には地方自治体の首長や元官僚などが、労働には労働組合が、使用者には経営者・経営団体が含まれる)である。
また、フェミニスト(ここでは、Stetson & Mazur(1995)に依拠し、「集団としての女性の地位の向上とジェンダーに基づく階層構造の消滅を目指す活動」を行っている、社会的に女性として認知されている人物をフェミニストとして定義した。具体的には、(1)フェミニズム団体のメンバー、または(2)大学等の機関においてフェミニズムやジェンダーに関する研究を行っている専門家をこれに分類した)という属性を持つ人物を市民社会属性グループの中から抽出した。
上記の4つの属性の委員・議員の比率を時系列に追ったものが、上図である。これを見ると、2000年度の男女共同参画局/会議成立を境に、それまで60%以上を占めていた市民社会の属性を持った委員・議員が徐々に減少しており、2010年には40%程度になっている。
一方、その代わりに
数を増やしているのは、使用者である。使用者は、2000年には10%程度だったのが、2010年には30%を超えている。さらに、この図には入っていないが、男女共同参画会議への改組以降、13人の閣僚も常に議員に加わっているため、実際には市民社会アクターの比率はこのグラフで示されているよりも下がっている。また、2014年度以降、見かけ上は市民社会アクターが微増しているが、実際は市民社会アクターの中でも「
バックラッシュ団体」(※5)の枠が1人分設けられたことを指摘しておかなければならない。
他方、専門調査会では市民社会アクターが多数を占める構成となっている。ヒエラルキーの上にある
親会議では政府・使用者が中心となり、下にある
専門調査会では市民社会アクターが中心となる、という構成が読み取れるだろう。
上述したように、男女共同参画局/会議の成立以降、
市民社会アクターのアクセスは一貫して緩やかに減少している。
そこで、その市民社会アクターの内訳を見ていきたい。市民社会のアクターのうち、ここで特に重要なのが「フェミニスト専門家」「フェミニスト団体」「(フェミニスト以外の)女性団体」である(ここで女性運動・女性団体は、消費者運動などの必ずしも既存のジェンダー関係の変更を求めないものも含めた、女性が主体となった社会運動全般のことを指している。一方、フェミニズム運動・フェミニズム団体は、女性運動の下位概念であり、その中でもジェンダーに基づく階層構造の存在を現状認識とし、それを変容させてジェンダー平等を実現することを目指す運動・団体のみを指す)。ここでは、「フェミニスト専門家」と「フェミニスト団体」のみをフェミニストとする。
上図によると、2000年度の男女共同参画局/会議成立以降、審議会の市民社会アクターに占めるフェミニストは微増したが、
2006年度以降大きく減少していったことがわかる。その分
増えたのは「(フェミニスト団体以外の)女性団体」である。つまり、次第にフェミニストよりも現状変更に対する選好の小さい女性たちの方がアクセスをもつようになってきたということだ。専門調査会でも、同様の動きが見える。
ここで注意しておかなければならないのは、2006年というその時期は、本連載第2回で述べた
第二次計画でのバックラッシュの時期の直後だということである。そのことから、この第二次計画でのバックラッシュをきっかけに、男女共同参画局/会議の人事からフェミニストが排除されていったのではないかと推測できる。