知的財産権が企業のイノベーションを促進するとの意見については、妥当な面もあるだろう。しかし、
感染拡大の直後から多くの先進国政府は巨額の公的資金を製薬企業に拠出しており、すでに研究開発に十分な資金を製薬企業は手にしている。例えば、米国のバイオ技術企業である
モデルナが開発中のワクチンの中核となる新技術は、米国政府の資金提供によって
米国国立衛生研究所が開発したものだ。その上で、モデルナ社は研究支援とワクチンの先行契約のため
合計約25億ドルの税金を米国政府から受け取っている。また
ファイザー社は、ワクチン開発のために
ドイツ政府から4億5,500万ドルの資金提供を受けたが、その後、
米国とEUから合計約60億ドルで購入契約を交わしている。これら企業を含め、現在最有力とされる6社のワクチン候補の研究開発、臨床試験、製造には、
計100億米ドル(約1兆515億円)以上の公的資金が投じられている。
つまり、すでに
企業の財政的なインセンティブはこれら公的資金の投入で満たされており、開発されたワクチンは公共的な性格を持つというのが途上国の意見だ。とりわけ、今回のような
パンデミックにおいて、公的資金が十分つぎ込まれて開発された重要な医薬品等を、私企業だけが独占的に管理することは不当であり、また感染を抑制するためには逆効果であると多くの国々は強調している。実際、例えば
アストラゼネカ社は「
新型コロナワクチンの開発費は、政府と国際機関による資金援助で相殺できると予測している」と述べ、ワクチン開発は同社の財政に影響を及ぼさないと何度も言及している。
さらに、先進国側の主張には、「
医薬品やワクチンの世界的な普及は、ACTアクセラレーターやCOVAXなどの国際的な枠組みによって検討されており、知的財産権の放棄はこれら動きの障害になりかねない」との主張もある。
ACTアクセラレーターとは、COVID-19に対応するため、マクロン大統領の提唱でEU、独、WHOが共同して2020年4 月に立ち上げられた枠組みで、診断検査法、治療法、ワクチンの開発・生産と公正な分配、保健システムの強化を目標としたものだ。各国から資金を集めた資金を使い、主に途上国に対しての検査や治療、医薬品を提供しようとするものだ。
COVAXとは、WHO等の機関によるワクチンの国際的な共同購入の枠組みだ。
①先進国・中所得国が資金を拠出し、自国用にワクチンを購入する枠組みと、
②ドナー(国や団体等)からの拠出金により途上国へのワクチン供給を行う枠組みの2つがある。
特許免除を求める途上国は、これらの枠組みをもちろん否定しておらず、重要なものと積極的に評価している。しかし、実際
どちらの枠組みも途上国にもワクチン等が行き渡るだけの十分な資金は集まっておらず、その一方で先進国は自国のためのワクチン確保に邁進している。またこれら枠組みの下では、
ワクチンや医薬品の製造主体自体が増えることはないため、仮に十分な資金が集まったとしても、世界中で必要な供給量を迅速に製造することができない点を、途上国側は問題としている。先進国の製薬企業が特許を免除すれば、インドやブラジルなど製造能力を持つ国で、多くの量の医薬品等の製造が可能となる。