ところが、男女共同参画局/会議の成立以前に策定された第1次計画と比較して、第2次計画は大きく後退することになった。注目すべきは、次のような変更である。
・「ジェンダー」
「社会的性別(ジェンダー)の視点」という注意書きが加えられ、そこではジェンダーという概念があたかも過激なものであるかのように扱われている。本来「ジェンダーフリー」とは、全ての性差を否定するものや人間の中性化を目指すことではないのにもかかわらず、歪曲した認識が示されたのだ。たとえば、以下のような表記だ。
「社会制度・慣行の見直しを行う際には、社会的な合意を得ながら進める必要がある」
「『ジェンダー・フリー』という用語を使用して、性差を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すこと、また、家族やひな祭りなどの伝統文化を否定することは、……男女共同参画社会とは異なる」
・「リプロダクティブヘルス/ライツ」「性教育」
第1次では女性の性的自己決定や性教育の重要性を強調する充実した項目があったが、第2次ではこの項目はなくなった。その代わりに、「リプロダクティブヘルス/ライツ」については「(国内法に反して)中絶の自由を認めるものではない」という消極的な記述となり、「性教育」については「行き過ぎた内容とならないよう……周知徹底する」「見直しを要請する」などと記された。
他にも「女性学・ジェンダー研究」が「男女共同参画社会の形成に資する調査研究の充実」に変更され、「無償労働」が「育児・介護等」に変更されるなどの後退があった。
一体なぜこのような後退が起こったのだろうか?
まずその背景には、基本法制定後の地方自治体における男女共同参画条例制定の動きの中で、
日本会議や
神道政治連盟など草の根の右派グループが反対を強めていったことで、バックラッシュ勢力が一気に勢いを得るようになったことがある。
その中で、2005年3月に「
自民党過激な性教育・ジェンダーフリー性教育調査検討プロジェクトチーム」(以下、PT)(
安倍晋三座長、山谷えり子事務局長)が政権与党に発足し、第2次計画策定に介入しはじめたのだ。
全17回の専門調査会のうち、本格的にPTが介入を始めたのは第12回からだった。第12回では、最終的な報告を取りまとめる作業を行う予定であったが、急遽4日前のPTの会合で示された意見についても議論されることとなり、議論の多くの時間がこれへの対応に割かれることになった。
PTから示された意見は、大きくは次の2点である。
(1)「ジェンダー論によらない基本計画を」
・「ジェンダー」という概念自体を問題視し、削除するよう主張し、それを原因に発生しているとされた過激な性教育を批判
・「無償労働」や「家族経営」などの言葉も、家族否定につながる不適当なものと指摘
・「女性学・ジェンダー研究」も好ましくないと指摘
・「ジェンダー主流化」の考えを示す「あらゆる分野」という言葉の削除を要求
・左翼や日教組の関わりを指摘するなどジェンダー論の党派性を強調
(2)「党として方向が決まっていないものは載せるべきではない」
・税制や選択的夫婦別姓について、個人単位の考え方に偏り過ぎていると主張
・政府与党が決定もしていないことを、政府が任命した審議会が盛り込んでいることはおかしいと主張
これに対して、多くの委員が反発した。特に、かつて総務庁事務次官も務めた元官僚である古橋源六郎委員は、「政府と党の関係…を考えた上で、…考え方を決めていくことが必要」「党が反対だったら専門調査会が意見を言えないというところは私はおかしいと思う」と述べている。
次の第13回の専門調査会の前には、PTからの申し入れにより合同会議が行われ、これを受けて専門調査会の議論は事務局側から提示されたPTの意見を盛り込んだ修文案についての議論という形となった。委員らは反発しつつもある程度の妥協を余儀なくされ、最終的な報告書に関する議論は完了したが、「ジェンダー」という言葉の表現については、「様々な議論があることから、引き続き…検討」という異例の対応となった。
このことで、バックラッシュとの抗争の舞台は、専門調査会から政治家の手に移ることになっていき、自民党の会合で議論が重ねられた。
このことは、新聞でも政府と与党の対立として報じられ、橋本行政改革後にも関わらず旧態依然とした「政府・与党二元体制」が残っていることを示すことになった。そのため、小泉首相としては早急に「リーダーシップ」を取って政府・与党をまとめるべく動き出す必要があったと推測される。
そんな中、同年11月末には、PT主要メンバーの安倍晋三議員が男女共同参画会議の議長である官房長官に就任し、山谷えり子議員が少子化・男女共同参画担当大臣政務官に就いたことで、事態は「収束」に向かった。最終的には安倍官房長官の裁定で、猪口邦子少子化・男女共同参画担当大臣が「ジェンダー・フリー」を否定する注釈を入れるという妥協をすることになったのだ。