老母がコロナに。痛感する行政のダメさと医療機関の限界。そして無視される家族の「献身」

カウントされない家族の献身

 身近な場所で2人の陽性者が判明してから10日間、緊張の日々を過ごしました。先ほど書いたように、私は感染症に対応する訓練を受けていない、ただの素人です。防護のための装備も支給されていません。そして私は職業的な医療従事者ではありませんから、もしこの作業の過程でコロナウイルスに感染しても、労働災害保険の対象にはならないのです。私の働きは無償であるばかりか、補償の対象にすらなりません。私が陽性者の対応のためにリスキーな作業を引き受けていることを、保健所の担当職員は知っています。しかし、公式の書類には残りません。  おそらく私のような経験をした主婦や夫は全国にたくさんいると思います。しかし、素人の主婦や夫が感染症対策のために働いているという事実は、公式の数字にカウントされることはありません。そうしたリスキーな働きをしている主婦や夫が自分自身のPCR検査を受けたいと希望しても、保健所の回答は「自費で受けてください」なのです。  これは、フェミニズムの理論家たちが指摘してきた、シャドウワーク(影の労働)、アンペイドワーク(何も支払われない労働)というものです。

無償労働の搾取

 シャドウワークとは、誰かがやらなければならないが、誰もやりたがらない労働です。そしてシャドウワークとは、「他に方策があったはず」とか「とくにやる必要はなかった」というふうに、その働きの意義を否定される労働です。シャドウワークとは、たんに日陰にあって人々に気づかれていない労働なのではなくて、みんなが知っているけれども、みながみなその意義を否定して正当に認知しないようにしている労働です。この否定の圧力が不断に働いていることによって、シャドウワークは、アンペイドワークになるのです。  フェミニズム経済学者たち(例えばクラウディア・フォン・ヴェールホフやマリア・ミースといった理論家たち)は、このアンペイドワークからの搾取こそが、資本主義経済の資本蓄積の源泉になっているのだ、と指摘しています。  つまりこういうことです。もしも厚労省が、私のような位置にある主婦/夫に、必要な訓練と装備を支給し、感染した場合の補償を用意し、従事した作業への正当な対価を支払ったなら、その費用は膨大なものになるでしょう。政府はその費用を支払わないことによって、大きな余剰金を生み出し、それを他の分野の企業支援に振り向けているわけです。電通やパソナが政府と癒着し、国産ジェット機やリニア新幹線に巨額の政府支援が行われている背後には、私たちのような主婦/夫の働きを無償で引き出し使い捨てることによって得た資金があるのです。  新自由主義政策にまい進する菅政権が、「自助・共助・公助、そして絆」と言ったのは、偶然ではありません。彼らは、「絆」によって引き出される無償労働が、富の源泉であることを知っているのです。 <文/矢部史郎>
愛知県春日井市在住。その思考は、フェリックス・ガタリ、ジル・ドゥルーズ、アントニオ・ネグリ、パオロ・ヴィルノなど、フランス・イタリアの現代思想を基礎にしている。1990年代よりネオリベラリズム批判、管理社会批判を山の手緑らと行っている。ナショナリズムや男性中心主義への批判、大学問題なども論じている。ミニコミの編集・執筆などを経て,1990年代後半より、「現代思想」(青土社)、「文藝」(河出書房新社)などの思想誌・文芸誌などで執筆活動を行う。2006年には思想誌「VOL」(以文社)編集委員として同誌を立ち上げた。著書は無産大衆神髄(山の手緑との共著 河出書房新社、2001年)、愛と暴力の現代思想(山の手緑との共著 青土社、2006年)、原子力都市(以文社、2010年)、3・12の思想(以文社、2012年3月)など。
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