「太陽を盗んだ男」と私たちの抱える閉塞感<史的ルッキズム研究11>

ロマンティックな国際化の時代

太陽を盗んだ男

(Netflix)

 1979年の映画『太陽を盗んだ男』(長谷川和彦監督)が、ネットフリックスで観られるようになったそうです。  そこで、この作品についてなにか書いてくれということなのですが、その前に少し回り道をして、作品が製作された79年の時代背景から書いていきましょう。  『太陽を盗んだ男』の原案・脚本をてがけたレナード・シュナイダーは、同じ年にもう一本、別の作品に脚本を提供しています。『男はつらいよ』シリーズの第23作目、『男はつらいよ 寅次郎春の夢』(山田洋次監督)です。  この作品は、二人の主人公が並立する物語です。一人は、故郷の柴又に帰ってきたテキヤの寅次郎(渥美清)、もう一人は、日本にビタミン剤を販売するためにやってきたアメリカ人マイケル・ジョーダン(ハーブ・エデルマン)です。二人の行商人が柴又のとらやに同居しながら、それぞれの旅をし、かなわぬ恋をするという物語です。二人の男を通して、異文化の交流と摩擦をコミカルに描いた作品です。  作品が公開された1970年代は、日本に「国際化」の波が押し寄せた時期です。70年にジャンボジェット・ボーイング747が就航し、海外旅行の低価格化が始まります。71年、ニクソン大統領は金とドルの交換停止を宣言し、通貨の変動相場制へと移行します。円の価値は上がり、海外旅行は庶民にも手の届くものになっていきました。  当時、女性たちの間で憧れの的となったのは、エーゲ海です。池田満寿夫による77年の小説『エーゲ海に捧ぐ』はベストセラーとなり、79年には池田が自ら監督した日伊合作映画『エーゲ海に捧ぐ』が大ヒットします。  また、ジュディ・オングが歌う『魅せられて』がヒットしたのもこの年です。82年にはスペインの歌手フリオ・イグレシアスの「黒い瞳のナタリー」が大ヒットしています。  この時期の「国際化」は、穏やかでロマンティックで夢のあるものでした。日本製の電気製品と自動車は対米貿易黒字を積み上げていき、そして国際化は経済発展と同義とみなされていたからです。ひとびとは経済のグローバル化を警戒するよりも、むしろ歓迎していました。  『男はつらいよ』でマイケルが売り歩く商品は、ビタミン剤というかわいいものです。この20年後、アメリカの製薬企業は日本市場に大量の向精神薬を投入することになるわけですが、79年はまだその入り口にたったばかりで、グローバル化がもたらす不吉な未来を予見する者はいませんでした。

核兵器と人質になった大都市

 『太陽を盗んだ男』は、国際化の時代につくられた作品です。脚本をアメリカ人が手掛け監督を日本人が手掛けた原爆映画です。ここでは広島・長崎の戦火もビキニ環礁の水爆実験も登場しません。この作品は、原爆について語られてきた日本固有の文脈からいったん離れて、ユニバーサルな視点で原爆を捉えなおそうという試みだったと言えます。  物語の主人公・城戸誠(沢田研二)は、自家製の超小型原爆を使って、日本政府を脅迫します。    これは核兵器の特徴をよく表現しています。核兵器は使用されない兵器です。核兵器が本来の威力を発揮するのは、使用ではなく保有です。保有していることを示すだけで、大国に伍する力をもつことができる。そして使用してしまえばその力は失われます。  脅迫のための標的となるのは、大都市です。核兵器は洋上の戦艦や砂漠におかれた基地を攻撃するものではありません。核兵器が威力をもつのは、都市を標的にしているからです。映画の舞台になるのは東京です。核武装戦略にとって、都市は人質になります。核兵器は、戦闘を遂行するための道具ではなくて、人質をとって相手を脅迫するための道具です。武器と言うよりも、凶器と言ったほうが正しい。その運用の様式は、戦争から遠く、犯罪に近いのです。
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目的のない犯罪、原爆、都市
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