出産からおよそ一週間後、妻と子供が退院する日です。私は面会者が入れるギリギリのエリアで、二人が出てくるのを待ちました。数分後、子供を抱えた妻がやってきて、誕生から一週間経ってようやく子供に初対面を果たしたのでした。
このタイミングで感動に襲われるかとも思っていましたが、妻はすでに何日も子どもと時間を共にしており慣れた様子。さらに、生まれたという事実は数日前に情報としてしっかり入っているので、安心はそのタイミングで終わっています。そうしたことから、雰囲気的にも事実を受け入れる順番としても、感涙するようなカタルシスを感じることは、寂しいことにありませんでした。
その瞬間から、父としての育児がスタートしたわけですが、「体験」が決定的に不足していることを痛感させられることになりました。抱っこの仕方からオムツの替え方など、すべてにおいて全くの初めてなのです。
特に困惑したのは、赤ん坊を入浴させる沐浴。マタニティクラスが実施されていれば、人形を使って看護師さんの指導のもと擬似的な体験ができますが、筆者は冊子を見ただけでぶっつけ本番となりました。しかも、失敗すれば我が子が溺死してしまうかもしれないスリリングさは、練習の必要性をヒシヒシと感じさせられました。
まだ収束の見えない、コロナの感染状況。一刻も早く平常に戻ることを願ってやみませんが、新しい命は日々生まれています。特に初産の方の父親になる方は、子供に会えないことと圧倒的な体験不足によるぶっつけ本番への戸惑いへの覚悟が必要です。少なくとも、沐浴に関しては動画サイトなどにアップされている動画も含めてできる限り見て回り、不足している擬似的な体験を、少しでも補填しておくことをお勧めします。
また、本来であれば家族との同時共鳴も手伝って得られるカタルシスが得られなかったことが、この先の育児に影響してくる可能性があると感じます。こうした状況での出産でなければ、育児で辛い時でも「あの時の感動」を思い出し、初心にかえることもあるといいます。
しかし、その経験を持たない、私も含めた「コロナ禍の父」は、もしかするとネグレクトや虐待へのハードルが低くなってしまうかもしれません。この大変な中での出産を経験した、私たちは少しでもそれに自覚的であるべきだと考えます。
不安の多い出産のうえにコロナが重なり、なかなか安心はできません。それでも、この記事が少しでも、コロナ禍に生まれてくる子どもの両親にとって役立つことを願います。
<文/Mr.tsubaking>