「編集済み」の答弁では政府の不誠実さは伝わらない。限られた紙面で書きにくいものをどう報じるか?

不都合な事実を隠す「ご飯論法」

 筆者が2018年5月6日に加藤勝信厚生労働大臣(当時)の論点ずらしの答弁ぶりを、朝ごはんをめぐるやりとりに譬えてツイートをしたのは、働き方改革関連法案の国会審議が、加藤大臣の巧妙な論点ずらし答弁によって、まともに成立しない状況に陥っていることを広く知ってもらいたい、という思いからだった。  朝ごはんは食べたのかと問うと、「ご飯は食べていません」と丁寧に答える。あたかも何も食べていないかのように相手に思わせ、実はパンを食べていたという不都合な事実を隠す。パンのことは一言も言及しないため、相手は「パンを食べていたのかもしれない」と気づきにくい。映像でその様子を見ている国民も気づきにくい。そのような巧妙な論点ずらしを加藤大臣は繰り返していた。  ツイートの翌日に実際の国会答弁と照らし合わせたWEB記事を書き、それを見たブロガーの紙屋高雪氏が「ご飯論法」と言及したことから、筆者は「#ご飯論法」とハッシュタグをつけてその言葉を広めた。名前がついていたほうが、認知されやすいと思ったからだ。  そのあたりの経緯は下記にまとめてある。 ●「「ご飯論法」はどのように生まれたのか」(集英社クリエイティブ 2020年10月16日)  「ご飯論法」という「読み解き」への認知が広がれば、政府が巧妙な論点ずらしの答弁を行っていても、その論点ずらしの事実を「ご飯論法」として指摘できる。隠された不都合な事実にも目を向けることができる。報じられる材料を与えない、とらえどころがない答弁そのものを、「ご飯論法」と名づけることによって報じることができるのだ。  けれども当初、大手紙の反応は鈍かった。ツイッターでは朝ごはんに譬えた5月6日当日に1000のリツイートがつき、だからこそ筆者は勢いを得て実際の答弁と照らし合わせるWEB記事も翌日に書いたのだが、新聞紙面で「ご飯論法」が取り上げられたのは、毎日新聞で5月28日朝刊が初出(デジタル版は5月27日)、朝日新聞で5月29日朝刊が初出だ。いずれも、衆議院厚生労働委員会で働き方改革関連法案の採決が行われた5月25日より後のことだ。  一方で、国会ではそれより早くから、そしてより頻繁に、「ご飯論法」(国会会議録では「御飯論法」)が言及された。初出は5月16日の衆議院厚生労働委員会における立憲民主党・西村智奈美議員の「とめてください。これ、典型的なご飯論法じゃないですか」という発言であり、指名されたうえでの発言ではないが、会議録に収められている。  さらに西村議員は5月25日の衆議院本会議における加藤厚生労働大臣の不信任決議案趣旨弁明演説でも、下記のように「ご飯論法」に言及しながら加藤大臣の不誠実な答弁ぶりを指摘した。 ●西村智奈美議員 「また、加藤大臣の委員会での答弁は、実に巧妙です。野党からの追及をかわす手法を、幾つも幾つも加藤大臣は駆使してきました。すなわち、論点のすりかえ、はぐらかし、個別の事案にはお答えできない、話を勝手に大きくして答弁拒否するなどであります。  例えば、論点のすりかえでは、御飯論法などと言われますが、例えばこういうことでございます。  質問者。朝御飯を食べなかったんですか。答弁者。御飯は食べませんでした(パンは食べましたが、それは黙っておきます)。つまり、朝御飯を食べましたかと聞かれたときに、誠実な答え方は、食べましたですよね。しかし、回答者は、朝御飯を食べたかを聞かれているのに、食べたとは答えたくないので、御飯を食べたかを問われているかのように論点をすりかえた上で、御飯は食べませんでしたと答えているわけです。  実際には、御飯ではなくパンは食べていたのですが、それは答えていません。尋ねた人は、朝御飯は食べなかったんだろうなと思うでありましょう。大変不誠実な答えであります」(第196回国会衆議院本会議第30号平成30年5月25日 )  これらを含めて、6月29日に働き方改革関連法案が可決・成立するまでに、国会では12回、「ご飯論法」が言及されている。6月29日の本会議においては、立憲民主党の石橋通宏議員が反対の討論に立ち、こう発言した。 ●石橋通宏議員 「問題はそれだけではありません。審議しても審議しても議論が深まらないんです。委員会での審議を通じて私たちは法案の数々の問題点を明らかにしてきました。その多くは、これまで安倍総理や加藤厚労大臣が国民に対して説明してきた法案の目的やメリットと完全に矛盾する問題だったんです。だからこそ、政府は、丁寧かつ真摯に答弁する責任があったはずです。それにもかかわらず、政府の答弁は、衆議院段階からの答弁をテープレコーダーのように繰り返すばかり、加藤大臣は最後まで御飯論法、これで国民の理解や納得が得られるわけがない」( 第196回国会参議院本会議第31号平成30年6月29日 )  まだ世間的な認知が低い「ご飯論法」という言葉に野党議員が大事な場面で言及したのは、自分たちが日々、苦闘している状況をその言葉が端的に表すものであったからだろう。言葉がなければ問題のある状況が世の中に伝わらない。それを伝える役割が、「ご飯論法」という言葉に託されたと思うのだ。

「いつまで〇〇ばかり」という世論誘導

 では翻って、「ご飯論法」という言葉が生まれる前に、国会でそのような不誠実な答弁が繰り返されていたことを、新聞は報じることができていただろうか。  例えば2018年6月4日の朝日新聞の社説「働き方法案 原点に戻り徹底審議を」は、法案の衆議院での可決を経て参議院における審議が始まるタイミングで記されたものだが、そこにはこのような記述がある。 「衆院では高プロの問題点の指摘に多くの時間が割かれた。厚生労働省のずさんな労働実態調査の問題や、野党の追及を逃れることに終始する加藤厚労相の姿勢にも批判が集まった。その結果、多様な論点が十分に議論されたとは言い難い」  そのような実態を踏まえて「参院での徹底審議を求めたい」と社説は主張しているのだが、その主張は正直なところ、むなしく響く。この社説の書き手も分かっているはずなのだ。参議院でも同じように、加藤大臣が野党の追及を逃れる答弁に終始するだろうことを。そして実際、そのように事態は展開した。  そういう実態があるときに、多様な論点を十分に議論せよ、徹底審議せよ、と求めても、その声は国会に臨む政府には届かない。では、読者には届くのか。  読者は、「社説が繰り返し徹底審議を求め、野党や労働団体、過労死家族の会の方々などの指摘に政府が耳を傾けることを求めているのだから、国会でまともに審議がおこなわれるだろう」と、根拠なく期待することにならないだろうか。  多くの市民は、国会の答弁がここまで不誠実に行われていることを知らない。国会パブリックビューイングで解説つき・字幕つきで国会審議を街頭上映すると、「国会がこんなにひどいことになっているなんて知らなかった」という声を聞く。  そのひどい答弁の実態は、野党の努力だけでは正せない。いくら野党が論点を詰めた質疑をおこなっても、平然とそれを踏みにじる答弁が続けられるからだ。その実態を正せるのは、世論しかない。そして報道機関は、その世論を喚起する役割を担っているはずだ。  そうであるなら、不誠実答弁がまかり通ってしまっている国会の実態と、徹底審議すべきという理想との乖離を埋めるために、国会の実態を知ってもらい、関心を高めるための記事が、もっと必要だったのではないか。そのことに報道機関は、どれだけ問題意識を持ってきただろうか。  国会の答弁の実態が適切に市民に伝わっていないと、「いつまでモリカケばかり」「いつまで桜ばかり」といった世論誘導をねらった言説に市民が影響されてしまう。そうして、「本当に大事なことを審議せずに政府の追及ばかりを重ねている野党になど政権を任せることはできない」と、世論を現状維持に傾かせてしまう。  「いつまで〇〇ばかり」という言説は、適切に答弁しない政府与党側にではなく、追及を重ねる野党側に非難の目を向けさせる。実際の国会審議を目にしていれば、問題は答弁側にあることは明らかなのだが、その答弁側の問題が知られていない状況では、「いつまで〇〇ばかり」という非難の言葉が力を持ってしまうのだ。  だからその状況を変えるには、報じる材料を与えない答弁を繰り返す政府の姿勢そのものを報じなければならない。
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説明責任を担わない政府の姿勢を伝える
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『日本を壊した安倍政権』

2020年8月、突如幕を下ろした安倍政権。
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