記者がおこなうべき権力監視とは、報じるに値するとみずからが判断する事実をつかみ取ることだけではない。
私たちの代わりに質問し、それに対する権力者の反応を可視化させることも重要な仕事であるはずだ。
記者会見の場で質問に誠実に答えずに用意された答弁書だけを棒読みすること。都合よく自分の主張だけを語ること。記者に対し、声をあらげたり、揶揄したり、答えに詰まったり、うろたえたりすること。手があがっていても無視して質問を打ち切ること。それらもまた、私たちが知るべき事実であり、記者が記者会見の場を通じて可視化して伝えるべき事実だ。
何を答えたかだけでなく、何を答えないかも重要な事実なのだ。
そして
そのような事実は、権力者の機嫌を損ねないための当たり障りのない質問をすることでは可視化することができない事実だ。だから記者には、記者会見という表舞台で、真摯に鋭い質問を投げかけてほしい。まともな答弁が得られないなら、何度でも重ねて問うてほしい。他社の記者も連帯して答弁を求めてほしい。
そして、そういうことができるように、各社の記者に踏み絵を踏ませるような完全オフレコの懇親会の誘いには乗らないでほしい。その誘いに自社だけが乗らないことがその後の取材の上で支障になりかねないという難しい事情も私たちに率直に伝えた上で、表の場での説明責任を首相が果たすことを、他社と共に連帯して求めてほしい。
そういう姿勢を見せるなら、私たちはその力関係を変えるために、気概のある新聞社を買い支え、見守って応援することができる。よくわからない言い訳で誘いに乗るならば、「権力側に取り込まれていくのではないか」という不信のなかで私たち読者も分断されてしまう。
毎日新聞の電話取材に対し、私はそういう問題意識を語った。けれども、そのあたりの話は記事には盛り込まれず、下記のように抽象的な形にまとめられてしまった。
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実際はいろんな事情があった上で記者も葛藤しているのかもしれない。それなら隠さずに表に出してほしい。メディアも強権的な官邸に押し込まれ、分断され、苦しんでいることを可視化した上で「応援してほしい」と言われれば、私たちも一緒になって応援できる
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これだと、どういう事情か、わからない。官邸からも押し込まれ、読者からもオフレコの懇談会に出かけることによって不信の目を向けられる、そういう状況になぜ陥っているのかを率直に語ってほしい。そして私たちに応援を求めてほしい。朝日新聞も毎日新聞も、私はなくなってよいメディアだとは考えていない。ぜひ、受けとめていただきたい。
◆【短期集中連載】政治と報道 1
<文/上西充子>