繰り返される「オフレコ懇談会」、毀損される「知る権利」。問うべき権力者と報道機関の距離感

官邸側に押される記者たち

   上記の10月13日の毎日新聞掲載記事に向けた電話取材を受ける際に、筆者は3ページにわたるメモ書きを記者に送った。その最初の段落にはこう記した。 ********** オフレコ懇談会への参加と記者会見での真摯な追及は、両立するものではなく、実際にはトレード・オフの関係をはらむと認識すべきだ。 **********  どういうことか。上に紹介した朝日新聞政治部と毎日新聞政治部の見解では、オフレコ懇談会に参加するか否かは社としての主体的な判断に基づくように読める。しかし実際には、主導権を握っているのは官邸側だろう。  単なる顔合わせであれば、官邸にでも招いて堂々とやればいい。しかしそうせずに内密におこない、「完全オフレコ」を求める。各社が官邸に恭順の意を示すか否か、「踏み絵」を用意し、対応を見ているかのようだ。  なぜ取材される官邸側が主導権を握りうるのか。それは、その後の取材依頼に対し、どの社にどういう形で応じるかを官邸側が決めることができるからだ。そもそも取材ができなければ、記者は仕事にならない。そこに記者の仕事の難しさがある。  記者クラブ加盟社が連帯して十分に時間を取った記者会見の開催を求めることができる状況であれば、官邸側ではなく記者クラブ側が主導権を握りうるが、実際には安倍政権下で特定のメディアによる単独インタビューに首相が応じるなど連帯が切り崩されていく状況が進行し、記者側の交渉力はかなり後退しているのが現状であるようだ。オフレコの取材機会の確保が交渉や分断の材料にされることもある。そういった事情は南彰『政治部不信』(朝日新書、2020年)に詳しい。  切り崩されていった背景には、記者クラブ加盟社に取材してもらわずともネットメディアや独自のウェブ媒体によって情報発信ができるようになったという時代の変化も記されている。前出の『汚れた桜』にも、政治部記者から見た政治家との関係の取り方の難しさが触れられている。  記者クラブ側の交渉力が後退した結果として、首相記者会見はめったに開かれず、開かれても短時間に限られ、内閣府広報官が会見の進行を仕切り、記者の質問は一人一問に制限され、かみあった返答がなくても更問い(重ね聞き)ができず、質問内容を事前に伝えていない記者は当てられない状態となっていった。  2020年2月29日の安倍首相の記者会見では、フリーランスの江川紹子氏が「まだ質問があります」と声をあげ、続く3月14日の安倍首相の記者会見では質問を打ち切ろうとした際に沖縄タイムスの阿部岳記者らが「まだ質問があります」「総理、これ会見と呼べますか」などと一斉に抗議し、質問時間の延長を勝ち取った。しかしその後、官邸側はコロナ対策として会見の人数を制限するなど、再び主導権を握っていく(下記記事参照)。 ●縄張りを越えろ――記者とは「野蛮」な稼業のはずだった – 阿部岳(論座2020年11月13日)  その流れの中で、菅首相は就任早々に各社の番記者にパンケーキ懇談会への出席を求めた。自分の側に主導権があることを見せつけ、自分に従うことを各社に求めたと見るのが自然だろう。

奪われる市民の「知る権利」

 10月13日の毎日新聞記事では、番記者懇とキャップ懇に出席することを決めた理由として、同社が求めたインタビューに菅首相が応じると決めていたことが挙げられていた。10月5日と9日におこなわれた計6社によるグループインタビューでは、用意されていたと思われる質問以外にも更問いが行われた場面もあり、日本学術会議について、推薦段階のリストを菅首相が「見てません」と答える場面もあった。記者クラブ主催の記者会見の場でなくても、重要な情報は得られた、という見方もできる。  しかし、記者会見の場での質問とその他の場での質問とでは、大きな違いがある。正式な記者会見であれば、首相官邸ホームページに映像と発言記録が残るが、そうでない場合は、その公式記録は残らないのだ。  今回の菅首相のグループインタビューは、なぜかTBSが映像を公開した(10月5日分10月9日分)。その映像によって私たちは、例えば推薦段階のリストを見たかと問われたときに、菅首相が「いや、見てません」とやや早口で答え、様子を伺う表情を見せたことを見て取ることができる(10月9日分映像26:45~)。  任命権者である菅首相が、どの6名を外したのかも把握しないまま99名の任命を行ったとなればそれは大きな問題となる。そのためその後の加藤勝信官房長官の記者会見では、「詳しくは見ていなかったということだろう」と菅首相の発言を都合よく修正する答弁がなされ、その後11月4日の衆議院予算委員会では辻元清美議員の質疑に対し、99名を任命する旨の決裁の起案が行われた9月24日の数日前に6名の具体的な名前を把握したとの答弁が行われた。  そういう経緯を知った上で改めて映像で見れば、菅首相は不都合な話題になったときにとっさにそれを否定することによって追及を逃れようとする傾向があるのではないかとの疑念が湧く。それは映像がなければ湧かない疑念であり、記者のフィルターを通して文字情報として伝えられる中ではそぎ落とされてしまう部分だ。  今回はTBSが映像を公開したが、これもいつまで公開されているか、わからない。ふだんのグループインタビューであれば映像が公開されることもないだろう。つまり、記者会見の場ではない場で取材が行われると、私たちは記者会見の場であれば把握することができた菅首相の表情や受け答えの様子などを知る権利を奪われるのだ。  政治部記者にとっては記者会見の場よりもオフレコ取材の方が取材対象者の本音に迫れることから重視されるという話はよく聞くが、公式の場での取材の情報は私たちにも映像の形でオープンに開かれているのに対し、非公式な場での取材で記者が得た情報は、記者のフィルターを通じ、取捨選択や要約を施された形でしか、私たちには届かない。
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「何を答えなかったのか」もまた重要な事実
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