で、竹田氏は、この歪んだ教育勅語のイデオロギーを「伝統」というレトリックで採用しようとします。ですが、私は伝統の美しさよりも、天皇への敬意を「行動や、外面で表したりする」ことで、天皇への忠誠度を外から推し量ろうとする自称愛国者を名乗るヤバい人間に「内心に踏む込める特権を得る」機会を与えてしまった事の「気持ち悪さ」しか、この本から感じられませんでした。
彼らは他人の内心が「外に現れる瞬間」を捉え、内面に侵入しようとウズウズしているのです。
しかもこの、「
しきたりファシズム」は、それが「伝統」という衣をかぶっているだけに、合理的な反論を許さない点が恐ろしいことです。
つまり、「しきたり」が増えてゆくということは、裏を返して言えば、各人がこうした反論能力を一つ一つ失っていく過程なのです。
私たちは、こうした「しきたりファシズム」の行使に、断固として抗議していかなければいけません。伝統という名の元に自称愛国者に「内心に踏み入る」特権を与えてはいけないのです。
しかし、日本人の美しいマナーとか唱えている人間が、慰安婦像に鼻くそを付けるってのはどうなんですかね?
日本人のマナーを教えを説く前に、まずは自分が、人権意識や、倫理感という人間として基礎的なマナーをお学びに「あそばれて」みてはどうでしょうか。
◆ ドリーの保守系珍書・奇書セレクション 第3回
<文/ドリー>
本名・秋田俊太郎。1990年、岡山県生まれ。ブログ「
埋没地蔵の館」において、ビジネス書から文芸作品まで独自の視点から書評を展開中。同ブログを経て、amazonに投稿した『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』レビューが話題となる。著書に、村上春樹長編13作品を独自解釈で評論した『
村上春樹いじり』(三五館)がある。ツイッター:
@0106syuntaro