『高校球児ザワさん』に登場する「昭島バッティングセンター」のモデル、武蔵村山の「村山スポーツランド」
個人的に記憶にあるのは、1980年代の高橋三千綱原作・かざま鋭二作画の『我ら九人の甲子園』くらいです。東京の西多摩にある都立秋葉高校がわずか9人の野球部員で甲子園を目指すというものでした。
風景描写から詳細を特定できない作品でしたが、主人公が「奥多摩に山籠もりに行く」といって塩山の山小屋に向かうエピソードがでてきますし、高校のグラウンドの背景には山が迫って描かれていました。また練習時の丘陵からの風景には、はるか遠くに新宿の高層ビル群が見えていました。
東京なのにどこか東京でない不思議なエリアともいえるでしょう。『高校球児ザワさん』に登場する「昭島バッティングセンター」は実際にはありません。これは武蔵村山にある「村山スポーツランド」がモデルになっているようです。特徴的な看板が酷似していますし、またバッティングセンターだけでなくゲームセンターも併設されています。作品に出てくるバッティングセンターも同様です。
「村山スポーツランド」の最寄り駅は西武拝島線の武蔵砂川駅か多摩川上水駅なのですが、徒歩だと相当の時間がかかりますので、タクシーもしくはバスでの移動になります。しかし玉川上水駅は多摩都市モノレールの駅も設置されていて、乗換駅になっています。JR立川駅に出るのには便利な立地です。周囲はURを中心とした大規模団地が目立ちます。
この西武拝島線はかつて小川~玉川上水間に敷設されていた日立航空機立川工場までの専用線でしたが、1949年に西武が取得、玉川上水駅の東大和寄りは戦後にアメリカ軍の基地になり、宿舎やハイスクールもありました。敷地は広範囲に渡り、現在の玉川上水駅周辺から都立東大和南公園、警視庁総合教養訓練施設に及びます。
さて、玉川上水駅の西側をしばらく歩くと、1964年から1966年にかけて5260戸が建設された、当時としては東京都内最大だった都営団地があります。敷地面積は55.3ヘクタール、周辺には商店街や市場もでき、1965年の人口1万4069 人から1970年の人口4万1275人へと激増しました。ただ現在は団地の老朽化も進み、建て替え工事が行われています。
この周辺も高度経済成長期に大きく発展し、しかし近年の都心回帰現象の陰で将来像を模索している最中なのかもしれません。多摩ニュータウンを始めとして、東京の西部が郊外化された時代が確実にあったということです。そして現在に至る郊外都市が形成されていきました。
『高校球児ザワさん』を通じて、メディア等があまり着目しない東京西部の変遷を読み込んでいくことも可能でしょう。マンガはときにその対象になっている地理的エリアを知る契機にもなります。
最終回で、都澤理紗は見事に大学入試に合格しました。彼女は合格発表を金髪、野球のユニフォームのいでたちで見に行きます。大学では女子も硬式野球部の選手として試合に出られるので、彼女はそこで野球を継続するのでしょう。受験番号を探す彼女の視線の先には「文科三類」合格掲示板と描いてありますので、東京大学に合格したようです。
【野球マンガの聖地を巡る旅 第2回】
<文・写真/増淵敏之>