「SNS時代の表現はスケールが小さい」 パリ公演後の七里圭監督とアクースモニウム奏者の檜垣智也さんに聞く

「音から作る映画」で見えたもの

――電子音楽と映像とのコラボレーションについてどのようにお感じになっていますか。 檜垣:私は、電子音楽の作曲、演奏活動の他にも、電子音楽の普及・啓蒙・研究・教育をやっていますが、どこに行っても電子音楽の人たちだけだったので、七里監督とのコラボレーションは素晴らしい出会いだったと思います。音楽の人は映画を知ることができて、映画の人は音楽を知ることができたのではないでしょうか。
檜垣智也さん

檜垣智也さん

 また、音楽界の人たちは作品評を言葉で表現することがあまりないように思いますが、映画の人たちは言葉で表現するので、その点も参考になりました。 ―――今回の『Salome‘s Daughter』は黒い紗幕を舞台に用いていますね。 七里:そうですね、白いスクリーンではなく。これは、アクースモニウムの語源である「アクースマティック」という言葉からの発想でした。 檜垣:アクースマティックとは、ピタゴラスが弟子に教える際に、自分の姿を隠して見えないところから声だけを聞かせて説法を行ったという逸話から生まれた言葉なんですが、それを電子音楽を発明した一人であるピエール・シェフェールが、スピーカーから聞かせる音楽のアナロジーに使ったんですね。例えば、スピーカーからピアノの音がしたとしても、そこにピアノはありません。音源は隠れているんです。 七里:それと同じように、演奏する檜垣さんを黒いベールの向こう側に隠したのです。アクースモニウムは音を層のように並べるとの話が先程ありましたが、このレイヤーという発想もヒントにしました。つまり、映像も多層的に見せる上映にしたのですが、そのためにも黒の紗幕を使っています。 ――映画がデジタル化されていくことへの違和感もあって、「音から作る映画」プロジェクトは始まったと聞きましたが、一連のプロジェクトを6年近くやってみて今はどのようにお感じになっていますか。 七里:やはり、デジタルシネマとフィルムの時代の映画は別ものと考えた方が良いだろうと思うに至りました。映像に関わらず、デジタル・データは修正や改変がしやすいし、コピー&ペーストも簡単ですよね。だから、作品が固定されにくいというか、物質として形がないので、フィルム時代のように完成品が一つだけという方が不自然な状態だと思いました。  そういうこともあって、このプロジェクトでは、同じサウンドトラックで3本の映画を制作したり、「サロメの娘」と名の付く様々なライブ・パフォーマンスも発表したんです。

『サロメ』をモチーフにしたテキスト

――なぜ一連の映画プロジェクトのテキストは、『サロメ』をモチーフにしたのでしょうか? 七里:『サロメ』と言えば、首を斬る、切断のイメージが強烈です。映画を撮ることは、ある意味で、現実からイメージを切り出すことだし、その撮られた「カット(切断)」を構成することで映画は出来上がると言えます。  面白いことに、オスカー・ワイルドが『サロメ』を書いたのも、リュミエール兄弟が映画を発明したのも、19世紀末のパリでした。ワイルドの戯曲は、預言者の首に口づけするという背徳性ゆえにはじめは上演できなかったのですが、リュミエールが最初の映画を上映した1995年の翌年、解禁されてパリで初演されます。これは偶然の符合ではあるのですが、映画とサロメに何らかの因果を感じたのです。 ――日本語訳は、日夏耿之介訳『院曲撒羅米』を使用していますね。 七里:日夏耿之介は、大正から昭和にかけての詩人で英文学者ですが、ワイルドの他にもエドガー・アラン・ポーの訳詩などでも知られています。この日夏訳と出会わなかったら、もしかしたら「サロメ」どころか「音から作る映画」すら生まれなかったかもしれないくらい、素晴らしく独創的な訳なんです。雅語というか擬古文として訳されていて、韻を踏んでいる言葉がすでに音楽のようで震えました。 「音から作る映画」プロジェクトの第一作である『映画としての音楽』は、まず『院曲撒羅米』をヴォイス・パフォーミングの手法で、サウンドトラックにすることから作り始めました。そのときも、池田拓実さんやさとうじゅんこさん、徳久ウィリアムさん、seiさん、飴屋法水さんなど、素晴らしい音楽家や歌い手、パフォーマーたちの協力があったからこそ出来た作品でした。ちなみに、『院曲撒羅米』は、三島由紀夫が『サロメ』を演出したときにも用いた戯曲なんです。 ――『映画としての音楽』では、「音楽」が女性で「映画」が男性という設定になってますね。 七里:それはフランス語で、“le cinema”“la musique”と「映画」が男性名詞で「音楽」が女性名詞だということからの発想です。映画より遥か昔から表現としてあった音楽を、成熟した女性に例えて、生まれたての男の子である映画との物語にしました。映画は、最初は無口でサイレントだったから、音楽に伴奏してもらっていたのが、成長するに従い、彼女をサウンドトラックとして取り込み、わがものにしていくというような、映画偽史を語ったのです。
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男性として母娘問題を描く
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●下高井戸シネマ 七里圭監督特集 のんきな〈七里〉圭さん 10月24日(土)から30日(金)まで 劇場HP http://www.shimotakaidocinema.com/schedule/tokusyu/kei.html 公式HP http://keishichiri.com/jp/events/nonkikei/ 予告編 https://youtu.be/Xrx5K4zTVWM ●音から作る映画シリーズ一挙配信中 『映画としての音楽』『サロメの娘 アナザサイド(in progress)』『アナザサイド サロメの娘 remix』『あなたはわたしじゃない』 U-NEXT、Amazonプライム、iTunes、RakutenTV、GooglePlayにて ●最新作・映画版『清掃する女』追加上映 11月3日(祝)@三鷹SCOOL http://scool.jp/event/20201103/