途中退場者続出の話題作『異端の鳥』が描く、戦争で子供が体験する地獄の旅路
『異端の鳥』が公開されている。
本作は、年端もいかない少年の置かれた過酷な状況と苛烈な描写から、試写会では途中退場者が続出した。一方で映画が終わった後には、10分間のスタンディングオベーションを受け、ユニセフ賞も受賞したという問題作にして話題作だ。
R15+指定がされ、上映時間は169分に及ぶという“骨太”な映画であるが、その一方でエピソードそれぞれはわかりやすく、重要な知見を与えてくれる、極めて誠実に作られた映画であるということを、まずは訴えておきたい。その具体的な理由を記していこう。
ホロコーストから逃れ疎開し、老婆と共に暮らしていた少年は、黒い瞳と髪、オリーブ色の肌を持つため周りから異質な存在として疎まれていた。やがて老婆は病死し、そのうえ火事で家を失ったため、少年は一人で旅に出ることを余儀なくされる。彼は父と母がいつか迎えに来てくれることを夢見ていたが、行く先々で容赦のない迫害や虐待を受け続け、次第に純粋な心を失ってしまう。
物語構造は「異質な存在とされる少年が様々な土地を渡り歩く」と非常にシンプルだ。だが、その道程は暴力と死と性に満ち満ちており、この世の地獄と呼ぶにふさわしい様相を呈している。
少年が出会うのは、小動物を奪い取って殺そうとする子どもたち、彼を悪魔だと信じて袋叩きにする村人たち、妻と作男との不倫を疑う夫など、おぞましい悪意を持つ者がほとんど。中には、年端もいかない少年に性的な欲望を抱く大人さえもいる。一方で、処刑されそうになった彼の命を救う兵士、その身を案じる心優しい司祭も登場する。
この『異端の鳥』を観れば、戦時中の混沌とした時代には、劇中の少年と同じように、子どもが暴力や性的虐待の犠牲になっていたのだろう(実際にそうだ)と、誰もが想像ができるだろう。事実、ヴァーツラフ・マルホウル監督は、主人公の少年について「戦争を生き抜き、荒廃したヨーロッパを彷徨い、両親を失った数十万人の子どもたちの代表であり、ある種の象徴だ。そして、それは今の世界中で軍事紛争が進行している場所、どこでも同じである」とも解説している。
ここにこそ、本作最大の意義がある。戦争の悲劇性を大局的に見ているだけでは気づけない、その時に起こりうる子どもへの悪意や加虐性の表出、異質と判断された個人への差別や迫害の恐ろしさを、映画という受け手の感情をダイレクトに刺激する手法で実感できるのだから。
さらにマルホウル監督は、本作に様々なメッセージがあることを前提として、最も大切なことに「二度とこういうことを起こすな」ということを挙げている。本作で描かれる地獄は過去の戦時中に確かに存在し、今もその状況が続いている場所もある。
だが、劇中で少年に救いの手を差し伸べた者がいたように、この映画を観る観客もまた過酷な状況に置かれた少年を、心から救いたいと願えるのではないか。残虐性を取り沙汰するだけではもったいない、極めて誠実なテーマ性が、本作にはある。
ちなみに、タイトルの『異端の鳥』(原題は「The Painted Bird=色を塗られた鳥」)は、劇中のエピソードから取られている。それは、ペンキを塗られた小鳥が、仲間の群れに戻ろうと空へ舞いあがっていくが、仲間たちはその小鳥を異端者とみなし、殺してしまう……というもの。その“異質な者の排除”という残酷性は、忘れられないインパクトを与えてくれるだろう。
本作が強固なリアリティを持ち、苛烈な残酷性を突きつけることに成功したのは、主人公の少年を演じたペトル・コトーラルが、実際に子どもの年齢だったことも大きいだろう。
彼は俳優ではない、マルホウル監督に偶然見出された普通の少年だった。撮影開始時の年齢はわずか9歳であり、時系列に沿って順撮りで撮っていったため、クランクアップのときには11歳になっていたという。彼が1人で悩まないように、付添人をあてがい十分なサポートも行われていた。その間に身体的な変化が訪れただけでなく、精神面も変わっていき、演技の幅も広がったため、脚本を書き直したシーンさえもあるそうだ。
前述したとおり、本作には子どもに暴力だけでなく、性的虐待を加える場面もある。その撮影のため、いくつかのシーンでは少年は現場におらず、大人の役者が身代わりになっていた。それでいて「カメラを少年目線に置く」ことで、その心理に同調しやすいようにも作られている。
また、マルホウル監督は観客が残酷なシーンに耐えられるように、作り手として「客観的になる」ことを意識していたという。直接的なグロテスクな描写を長引かせることを(過度に短くすることも)避け、自然に溢れた田舎の雄大な景観も映すことで、少年が目撃または耐えている暴力行為について、観客が真剣に考えられるだけの「感情的な余地」を与えるようにしたそうだ。
この『異端の鳥』がテーマ性だけでなく、製作の過程においても、極めて誠実であることがわかるだろう。何しろ、実際に子どもである出演者に十分に配慮した撮影を行うことはもちろん、観客が過度に不快感を得ないように、それでいて過酷な体験をする少年の心情が伝わるように、工夫に工夫が凝らされているのだから。
また、主人公の少年は全くの新人であるが、道中で出会う大人たちはウド・キア、ステラン・スカルスガルド、ハーヴェイ・カイテルなどのベテラン俳優が演じている。彼の”いぶし銀”と呼ぶにふさわしい存在感と熱演にも、ぜひ注目してほしい。
10月9日よりチェコ・スロバキア・ウクライナ合作の映画「異質な存在」とされた子どもが、迫害や虐待を受け続ける物語
子どもを主役に抜擢したからこそのリアリティ
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