先鋭化する右派と二極化する世界。私たちは世界内内戦を生きている

様々なイシューをめぐり分裂する世界

 また、トランプ大統領については、9/29日、大統領選の公開討論会が開催されたが、その壇上においての振る舞いもなかなか凄まじいものがあった。トランプ大統領はプラウドボーイズが議題になった際、オルタナ右翼のプラウドボーイズには「引き下がれ」と言った一方で、アンティファにメスを入れる必要があるとした。6月にも同大統領は「アンティファをテロ組織に指定」すると言っており、その延長線上の発言であろうということは理解できる。だが、アンティファは統一性のある党派や団体というわけでもない。どうやってテロリスト指定をするのかは不明だ。  コロナ禍の前より、フランスや香港など、世界中で暴動が頻発していたことも忘れられない。  ともあれ、アメリカの黒人に対する抑圧に端を発した抗議運動や暴動だけでなく、この間世界は様々な政治的イシューをめぐり分裂している。

分裂が可視化するプロセスとしての内戦

 しかし、21世紀もすでに5分の1となった現在、なぜここまで世界が分裂してしまったのだろうか? というより、それは実のところ、世界の分裂が可視化するプロセスとしてこの間の内戦的状況があるのではないだろうか。  昨年刊行された書籍、エリック・アリエズとマウリツィオ・ラッツァラートによる『戦争と資本』(作品社・杉村昌昭、信友健志訳)によれば、昨今の状況は「金融資本主義によるグローバルな内戦」とでも把握すべき状況であるという。2011年のオキュパイ運動から「アラブの春」などといったこの間の様々な運動もそうであるし、ネオリベラリズムの側も警察力をバックに動き、ひいては極右とでも呼ばれる層も、外国人や移民、ムスリム、女性、“アンダークラス”と呼ばれる下層の民衆に対しての戦争を発動していると指摘する。  そして、この「民衆に対する民衆の戦争」とでもいうべき事態は、植民地戦争がそうであったように、国家ではなく民衆そのものに対しての戦争であり、戦争と平和の間の区別、経済、政治と軍事的なものの区別は存在しないものであり、この事態の起源は70年代以降にネオリベラリズムの波が世界を覆う中で始まっていったものであるともされる。  これは、70年代以降のネオリベラリズムの中で、植民地戦争のスタイルが社会一般において行われ、特に先進諸国における昨今の暴動や極右の伸長はそれが可視化、加速化していったものであるというように把握できる。  もはや、「国民」という概念で民衆を一括りにすることは困難だ。あまりにも民衆の感覚が分裂しているのである。重要なのは人びとそれぞれの「主体性」ということになるだろうか。  世界の分裂が今後どのようになるのかはわからない、たとえばジェンダーをめぐる問題を考えてみても、#metooに賛同する人もいれば、杉田水脈議員のように結局陳謝したとはいえ性犯罪について「女性はいくらでもうそをつける」といってのけてしまう御仁もいるなど、分裂は深い。先述したBLMをめぐる民衆の分裂については言うまでもない。世界大の民衆間の闘争が激しくなっている。 <文/福田慶太>
フリーの編集・ライター。編集した書籍に『夢みる名古屋』(現代書館)、『乙女たちが愛した抒情画家 蕗谷虹児』(新評論)、『α崩壊 現代アートはいかに原爆の記憶を表現しうるか』(現代書館)、『原子力都市』(以文社)などがある。
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