日本学術会議に対する菅政権の干渉と無批判に礼賛する大衆民主主義が生み出すファシズム。立憲民主主義の破壊を許してはいけない

大衆民主主義の落とし穴

 上記のように政府の干渉を支持する者は、立憲民主主義の正当性に対して大衆民主主義の正当性をぶつけてきているといえる。しかし民意を獲得した多数党の指導者が、全行政機関に対してあまねく権限を行使可能にすべきだという大衆民主主義的思考には罠がある。そもそも民意とは何か。安保法、共謀罪、竹中平蔵の重用、いずれも不人気政策であり民意ではない。ただ総選挙に勝利した政党の党首で総理大臣に指名されたことのみが「民意」として権威づけられ、何でもやっていい権利なのだと吹聴され、民衆もそれを信じる。  しかしそれこそがファシズムなのである。メディアはパンケーキおじさん、令和おじさんと称賛し、民衆はその「人柄」に喝采を送り、直前まで支持率3割だった政権の継承を明言した新政権に、高い支持率を与える。大衆民主主義が指導者原理と結びつき、煩わしい立憲民主主義を破壊する。抗議の声は、親日と反日の二項対立以外は立憲主義の維持や法的一貫性にはまるで興味がなく学ぶ気もない者たちの嘲笑によって掻き消される。そして自分は国民の側に立っていると「称する」者の、「改革!」の掛け声のもとで、人間の人権や自由を成り立たせるような諸制度は切り詰められていく。自分の番が来て気づいたときには既に、行政権力に対抗する制御装置は全て沈黙しているのだ。  もちろん改革すべき制度や、政府と癒着して不当な権力を有している官僚や学者、経営者も数多い。日本学術会議もそのひとつかもしれない。だがそうした問題について、手続き的正義を無視することでスカッと解決しようとする勢力に喝采を送る社会は既にファシズムに陥っている。民主党の事業仕分けは少なくとも公開性の原則に基づいていた。自民党は全て密室で決める。説明になっていない説明を繰り返し、人々に無力感を与える

立憲民主主義を守る動き

 この事件は、「学問の自由」をめぐる危機であると同時に、立憲民主主義の危機でもある。その問題の根源は安倍政権にまで遡るが、菅政権は発足早々に「学問の自由」に対する露骨な干渉を見せた。  しかし、日本学術会議はもちろん、すでにいくつかの研究者団体は批判を開始している。この動きが大きなものになり、政権の干渉を退けうる運動になるよう期待したい。 <文/藤崎剛人>
ふじさきまさと●非常勤講師&ブロガー。ドイツ思想史/公法学。ブログ:過ぎ去ろうとしない過去 note:hokusyu Twitter ID:@hokusyu82
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