監視資本主義の問題について、序盤からこう語られている。「1人の悪党のせいではない。問題を特定するのは難しい。議論する必要がある」と。
言うまでもなく、ソーシャルメディアおよびSNSそれ自体が悪いと言うわけではない。劇中では問題の争点として、例えば「ユーザーの権利ではなく巨大企業の利益と特権が守られていること」や「正しい法整備がなされていないこと」など、やはり全体を統括する“制度”が挙げられている。
他にも「16歳まではSNSを使わせない」「Google Chromeの拡張機能でYouTubeのおすすめ動画を非表示にする」「(違う意見も知りたいから)SNSで違う視点を持っている人もフォローする」などの、極めて具体的な問題の解決策も示されている。
もちろん、いずれの解決策も個人の意見であり、それらを鵜呑みにしてしまうのも良くはないだろう。ただ、誰かと議論を交わし、それぞれがソーシャルメディアおよびSNSの向き合い方を今一度考えるのは、非常に意義深いことだ。
劇中ではこうも提言される。「批判して改善するんだ。批判者こそ、楽観主義者だ」と。この『監視資本主義』ではソーシャルメディアおよびSNSの危険性について徹底的なまでに批判をしているが、それこそが良い未来へとつながると、希望も見せてくれていた。
『監視資本主義』は多角的に現代の我々に恐怖を与えてくれる内容だが、個人的に真にゾッとしたことは、映画が終わった後にあった。
何しろエンドロールが終わった時に、「この映画を観ていた人だけがゾッとするテロップ」が表示されるのだ。すかさず「冗談です」とも表示されるのだが、良い意味で心臓に悪い、「やめてくれよ!」と思うしかない、このテロップはぜひその目で確かめてほしい。
さらに、その後にはNetflixの機能による「おすすめ作品」を紹介された。ソーシャルメディアおよびSNSにおけるおすすめ動画や広告が、“監視”と“予測”に基づく、スロットマシーンや違法薬物のような依存にもつながるものだと見せられた後に、これは何という皮肉だろうか……。
【参考記事】
監視資本主義(サーベイランスキャピタリズム)とは?「デジタル経済メディア Axion」
<文/ヒナタカ>