前述した、わかりにくい“迷宮感”のある内容は、古き良き“フィルム・ノワール”を踏襲した特徴とも言える。
フィルム・ノワールとは虚無的または退廃的な指向の犯罪映画を指しており、古くは『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1946)や『現金に体を張れ』(1956)などがその代表だ。『鵞鳥湖の夜』の湿り気を帯びた裏道、ネオンが輝く夜の街の光景を見て、広義のフィルム・ノワールであるSF映画『ブレードランナー』(1982)を思い出す方もいるだろう。
©2019 HE LI CHEN GUANG INTERNATIONAL CULTURE MEDIA CO.,LTD.,GREEN RAY FILMS(SHANGHAI)CO.,LTD.,
そのフィルム・ノワールによく登場する概念に“ファム・ファタール”がある。その意味は「男を堕落・破滅させる運命で結ばれた女」であり、『鵞鳥湖の夜』に登場する謎の女のアイアイも、主人公を導く蠱惑的な存在だが、その先には袋小路に追い詰められる未来しか見えないという、絵に描いたようなファム・ファタールなのだ。
実際に、1940年~1950年のハリウッドで量産されたフィルム・ノワールに精通しているディアオ・イーナン監督は、「フィルム・ノワールでは運命あるいは運命を受け入れること、暗闇(夜と社会の腐敗)、そして欲望が強調されている」と、中国の武侠映画によくあるロマンスとの対比で語っていたこともある。“暗闇”と“運命”と“欲望”は、まさに『鵞鳥湖の夜』の物語に合致する単語。典型的なフィルム・ノワールの“らしさ”を突き詰めている内容とも言えるだろう。
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なお、フィルム・ノワールには暴力的なシーンもよく登場するが、『鵞鳥湖の夜』も例外ではない。「バイクのU字ロックを武器に使う」「傘に返り血が飛び散る」といった画はフレッシュであり、少しだけユーモアも込みの面白さがある。その他にも切れ味の鋭いアクションとバイオレンスが良い意味で突発的に訪れるため、話の内容がよくわからなくても退屈することはない。そうした従来のフィルム・ノワールにない、新鮮な驚きと興奮も備えていることも、『鵞鳥湖の夜』の美点だ。
『パラサイト 半地下の家族』に通ずる格差社会の風刺
第92回アカデミー賞で作品賞など4部門を受賞した『パラサイト 半地下の家族』は、韓国に根付く格差社会の問題をエンターテインメントに仕立てたことでも話題を呼んだ。同様に『鵞鳥湖の夜』でも、中国のアンダーグランドの犯罪と、社会の底辺で生きる人間たちの現実をあぶり出していく内容になっている。
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例えば、謎の女のアイアイの職業は“水浴嬢”である。それはリゾート地での海水浴に付き合う風俗嬢の一種であり、彼女たちは沖に連れ出した客に性サービスを施していたそうだ。社会層の上下で経済水準が天と地ほども違う中国においては、水浴嬢は最下層の人々に残された職業の1つになっていたという。
また、中国では“城中村”という現象も進行している。それは急激な都市化の中で、既存の農村が都市の中に取り込まれ、周辺が高層ビルに取り込まれた“都市の中の村落”となっていくことだ。劇中では劣悪な環境に住む人々の姿があり、鵞鳥湖の周辺では自然がある一方で廃墟も点在していて、治安が悪化しバイク窃盗団もはびこっている。
そして、劇中で最も強烈に中国の格差社会を風刺しているのは、クライマックスからラストにかけてのシークエンスだろう。もちろんネタバレになるので具体的には書かないでおくが、“あの時の行動”の意味、そして“行き交う人々の姿”が示唆しているものを反芻すれば、とてつもない皮肉に満ちた終幕であることがわかるはずだ。
参考記事:
『鵞鳥湖の夜』モデルとなった脱獄死刑囚と、社会の影で生きる中国の「下級」国民
<文/ヒナタカ>