――齊藤監督は、光市母子殺害事件や名張毒ぶどう酒事件など司法を題材として、10を超える作品を世に送り出していますが、なぜ「司法シリーズ」を制作し続けているのでしょうか。
齊藤:ドキュメンタリーの制作は『重い扉~名張毒ぶどう酒事件の45年』(06)という作品が初めてだったのですが、「名張毒ぶどう酒事件」で無実を証明する証拠が再提出されたのに、なぜ裁判所は再審開始決定の取り消しをしたのかが不思議でなりませんでした。司法関係者やOBに取材をしてみると、裁判所は縦社会で、一度先輩の下した判決を後輩が覆せないことになっていると口々に言っていたのを聞いたんですね。
営業から報道に異動になり5年目の30代後半の頃でしたが、裁判官の世界をもっと知りたいと思って、『裁判長のお弁当』(07)という作品を撮りました。ベテランと若手、2人の裁判官に密着したんです。2人とも物凄く忙しく、ベテランの裁判長はお弁当を2つ持ってきて昼と夜に食べていました。それぐらい働かないと仕事が追い付かないということの象徴として『裁判長のお弁当』というタイトルにしたんですね。
そこからは、一つ取材するとまた一つ見えて来るものがあって、検察官、弁護士、犯罪被害者と被写体を変えて来ました。「司法を良くしたい」という大それたものではなく、犯罪の起きない社会にしたいという気持ちから、その手助けをしているという感覚ですね。
(C)東海テレビ放送
――「名張毒ぶどう酒事件」のシリーズが、冤罪がテーマの被告人側の物語だとすれば、今回は被害者側の物語を描いています。齊藤監督ご自身の中で、司法制度の見え方が今までとは異なって見えたことなどはありましたでしょうか。
齊藤:異なって見えたということはないです。ただ、共通して言えるのは、被害者側も加害者側も裁判が終わった後も、事件は当事者の間では続いていくということです。
富美子さんは三人の死刑を望んでいたところ、結局は一人無期懲役になってしまいました。しかし、たとえ三人死刑にしたとしても、利恵さんを失ったことの傷が癒えたということはなかったと思います。お姉さんや職場の方々など周囲のバックアップがあったからこそ今は前向きに過ごしていらっしゃいますが、事件の傷跡はずっと続いていくんですね。
裁判が終われば国の事件に対する関与は終わりです。ただ、より良い社会を作るには、被害者、加害者のフォローをもっとすべきだと思います。遺族も含めて犯罪被害者のフォローをどうするのか、また、加害者は刑期の終わった後どのようにして社会で受け入れるのか。そこにもっと国は関与すべきだし、私たち一般社会の人間も考えるべきではないでしょうか。
――被害者の意見を反映させることを目的とした被害者参加制度がスタートして10年以上が経過しますが、被害者の声は司法に反映されているとお感じになっていますか。
齊藤:現在は管理職となり、現場の報道記者の仕事を離れているので、実体験としてはわかりません。
ただ、裁判員制度もそうなのですが、いわゆる素人が司法制度に関わるのは難しい面もあると感じています。ともすれば感情に流されてしまい、冷静な判断は困難なのではという印象もあります。
なぜ近代国家において自力救済は禁じられているのか、司法制度があるのかという制度そのものの説明をもっとしてもいいのではないかと。
(C)東海テレビ放送
――本件の最高裁判決は「実母らの処罰感情はしゅん烈である」としながらも、「意図的に残虐な殺害方法をとっていない」「前科がない」「殺害された被害者が一名しかいない」ということを理由に無期懲役の判断を下しています。殺人事件の被害者が1名であれば無期懲役以下、3名なら死刑、2名ならボーダーラインとする永山基準からすれば妥当とも取れます。この点についてはどのように感じますか。
齊藤:光市母子殺害事件判決では、被害者の人数ではなく、犯罪の客観的な悪質性に着目して死刑判決が下されたことから、この判決以降、永山基準は崩れているとも言われていますね。法の下の平等ということを考えると、判例は大切ですが、当事者の方々の思いに触れるとやはり人数だけで判断するのではなく、あくまでケースバイケースであるべきではないかと感じます。それから、自首したら死刑を免れるというような安易な認識を生み出す状況は再考すべきではとも思います。