「
新しい公共」の内実については、その議論が成熟しないうちに民主党政権がレームダック化してしまったため、宙吊りのまま置かれている。だが当時の議論を思い起こしてみると、市民社会論との関係で語られることが多かったと思う。
その最大公約数的なものを多少図式的に説明すれば、従来「公」(行政)と「私」(民間)は厳然たる分離のもとに思考されてきたが、それらを包摂する新たな公共概念を創造し、そのもとで社会政策を立案しようということだ。
あらゆる社会政策を、それが公的に必要なことであれ、全てを行政が担うのはあまりにも効率が悪い。また、市民が何でも行政任せにするのではなく、市民個人や市民団体を通して、主体的なアクターとして公共の課題に取り組む事例や、取り組みたいという要望も出てきている。
さらに、企業も「私」企業だからといってやりたい放題やって良いわけでもなく、その企業の規模や影響力に応じた社会的責任がある。そこで、行政的な意味に限定されていた「公」を拡張させた公共概念を採用することによって、それぞれの役割分担を柔軟に考えることができる。
こうした考え方の新自由主義との違いは、
新自由主義は単に「公」のものを「私」に流すだけで、公共性という思考がないということだ。新自由主義にとって、たとえば待機児童の問題は市場が解決する問題であり、そのための規制緩和を行う。安いが劣悪なサービスを利用して児童が事故にあったとしても自己責任である。
一方で、新しい公共においては、保育サービスが誰でも安全に利用できるようにするための責任は、なお国家にある。従って、新しい公共概念の支持者は、行政の役割は縮小したとしても、公共的領域はむしろ広がっていると主張する。
このような拡張された公共概念は、アンソニー・ギデンズの思想に基づく「
第三の道」路線と結びつく。「第三の道」は、1990年代、従来の福祉国家路線からの転換を迫られたヨーロッパの中道左派政党によってよく採用された。そうした政党は政権を獲得した後、新自由主義にあまりにも妥協しすぎたため支持層の離反を招き、最終的には党勢の衰退を導いた。
2010年に退場した民主党菅内閣は、「第三の道」としての「最小不幸社会」をスローガンとしたが、直後の参議院選挙の敗北によりレームダック化した。一方、民主党は一貫して「第三の道」を掲げてきていたわけではなく、むしろその本質は保守系議員との妥協による「民主中道」であった。
2017年、民進党の前原誠司代表は、All for Allをスローガンとしていた。前原誠司に関しては、その後の希望の党騒動や野党共闘に消極的だったことも含め評判が悪く、そのブレーンたる経済学者井出英策の議論への賛否もあり、All for Allのスローガンもまた評判はよくなかった。
しかし、社会福祉をすべての人々の支え合いとみなすAll for Allは、むしろ立憲民主党の「自己責任から支え合いへ」との連続性のうちにあるものとして考えられるべきだろう。それは中身次第では十分格差解消のスローガンとなりえたはずなのだが、公共性の議論が浸透していなかったために、実質以上に嫌われ、また民進党自身も結局自ら崩壊してしまった。
「自己責任から支え合いへ」のスローガンにおける「支え合い」は、自助・共助・公助の「共助」の延長線にあるものとして捉えるべきではない。新自由主義的な「支え合い」は、無責任な市場を補完するため、伝統的な家族や地域社会を必要とし、「共助」をそこに押し付ける。
かつての民主党政権も、「新しい公共」を提唱していたにも関わらず、その理解については新自由主義的なものだった。「小さな政府」という呪いに取りつかれ、大胆な積極財政に打ってさえいれば可能だったはずの目玉政策を自ら捨てることになった。
しかし、本来の市民的公共性を前提とした「支え合い」は、「公助」を定礎としたうえでの配分の問題である。新・立憲民主党は、新自由主義からの脱却をはっきりと打ち出している。その意味でも、自民党的な共助論とは区別してよい。
自民党的な公助は、「公=お上」からの施しである。従って、
ギリギリまで自助を続けなければその「お慈悲」にはあずかれないのである。だが
「公」とはけして「お上」ではない。むしろそれは我々自身に関係する。
公正な税制のもとで行われた再分配政策の恩恵に預かることは施しではなく、極限まで自助を行うという謙虚さを持つ必要もない。市民社会における美徳は、公共性への関心であって勤勉さではない。その意味で、ベーシック・サービスという公助を拡大する社会を「支え合う社会」と表現することはけして間違ってはいない。