日本人はダメで、海外の人間が違法薬物を使うのは許されるのか
上記で違法薬物の使用によって配信を停止するのは過剰な対応だと思う根拠を示してきたが、ここではあえて「違法薬物の使用によって配信を停止するのは妥当な対応」と仮定してみよう。ただし、そのことを前提にすると我々は「ある矛盾」に直面しなければならない。
「マーベル・コミック」に掲載された原作を実写映画化し、現在では「マーベル・シネマティック・ユニバース」という世界中で愛されるシリーズものの原点となったアメリカ映画『アイアンマン』に出演する
ロバート・ダウニー・Jrは、過去に薬物依存に陥った経歴がある。しかし、彼はそこから見事にカムバックし、同作のヒットで世界的俳優としての地位を得た。
もし、彼の薬物依存が発覚した段階で作品の配信停止を含む社会的制裁が科され、俳優としてのキャリアが閉ざされていたら、『アイアンマン』がこれほどの名作になることはなかったかもしれない。
そして、
ロバート・ダウニー・Jrには違法薬物使用の過去があるにも関わらず、『アイアンマン』をはじめとする彼の出演作は現在も動画サイトで配信されている。もし、先ほど触れたように「反社会的勢力への資金提供による罪」で作品の配信停止を正当化するならば、彼の出演作も配信するべきではないだろう。
さらに言えば、日本で愛されている名曲を手掛けた世界のロックバンドも、メンバーはかなりの割合で違法薬物に手を染めている。例えば、ビートルズはメンバー全員が重度の薬物依存症であったとされ、名盤として知られる「ラバー・ソウル」や「リボルバー」には彼らの「薬物経験」が全面に反映されていると考えられている。
しかし、言うまでもなく彼らは現在でも日本で愛され続けており、上記のアルバムは日本中のどのCDショップでも購入でき、楽曲配信も停止されていない。
そう考えると、「なぜ伊勢谷容疑者やピエール瀧と同じ立場にありながら、作品の配信が停止されないのか」という疑問にぶち当たる(無論、「アイアンマンやビートルズの楽曲も今回のように配信停止にするべき」と言いたいわけではない)
「時代が違うから」「国が違うから」「薬物使用から時間が経っているから」ともっともらしく説明することはできるが、どれも「薬物の使用と配信の停止」を結びつける合理的な説明とは言い難い。
上記の事実は、むしろ「作品に罪はない」という、配信停止に異を唱える側の主張を補強してしまっているようにさえ感じられる
作品の制作に携わった人たちやファンを「連座」させる必要はない
最後の論点は、作品の配信停止という行為を通じて、作品の制作に携わった人たちやファンを伊勢谷容疑者の罪に「連座」させる必要はあるのか、という点だ。
違法薬物の使用という罪については、現段階で報じられている限り伊勢谷容疑者個人の罪だ。それにもかかわらず、汗水たらして映像を制作した共演者やスタッフ、作品のファンは、なぜこんな目に遭わなければならないのか。
もちろん、「共演者はみんな伊勢谷容疑者の大麻使用を黙認していたかもしれない」「彼をキャスティングしたこと自体に責任がある」と批判することはできる。また、「違法薬物を使用すれば、これだけ他人に迷惑がかかる」と、社会的な制裁を通じて、違法薬物使用の抑止力とする効果はあるかもしれない。
しかし、繰り返すが伊勢谷容疑者の大麻使用は「伊勢谷容疑者個人の罪」であり、周りの人たちがそれに巻き込まれて罰を受けるのは極めて不条理だと言わざるを得ない。
我々の身近で例えるなら、仕事で「あなたはこのプロジェクトで優れた成果を挙げました。ただ、チームのメンバーが仕事とは関係ないところで薬物を使用したので給料を下げます。あと、プロジェクトの記録は抹消します」と言われているようなものだ。筆者なら間違いなく異を唱えるし、それは読者も同様なのではないか。
誤解のないように断っておくと、筆者は伊勢谷容疑者個人の罪を擁護するつもりは全くない。大麻の危険性については議論の余地も残されているが、大麻の使用が発覚すればどれだけの人に迷惑をかけるかは十分に理解できていたはずで、彼に対して非難の声が上がるのは道理だとさえ思う。
「誰も傷つけていない」と言われるが、彼は現時点で現在、過去の共演者やスタッフ、ファンに加えて、社会貢献事業で携わった人たちなどの心を「直接的に」傷つけているからだ。
それでも、やはり周りの人たち、何より「作品」そのものに罪はないと考えており、それらが罰を受ける現状は看過できない。