次に、「女性の権利」が「性同一性障害の人の権利」に優先されるのかどうか、について論じたい。まず「女性の権利」と「性同一性障害の人の権利」は別のものではない。なぜならば、トランス女性は、女性の一部だからである。それを対立するもののように捉えている時点で間違いだといえるだろう。
トランス女性を女性と認めない議論は古く、1979年の『トランスセクシュアル帝国』という反トランスの著作のなかでも、「女性と同じ歴史を持たない」としてトランス女性は女性という枠組みから排除されている。しかし、
実際にはトランス女性が被っている抑圧は非トランス女性が被っているものと重なるものが多い。たとえば、セクシュアルハラスメント、性的暴行、あるいは単に見下す視線。
さらに、ジェンダー(※4)をなくす方向に世の中が動いているのにも関わらず、あえて女性/男性に移行しようとするトランスジェンダーを批判し、女性/男性と認めない声も聞かれる。ジェンダーがなくなるなら、性別移行する必要もなく、また性別移行はジェンダー規範を強化する悪だ、というのである。
だが、ジェンダーが果たして本当になくなる日が来るのだろうか。そんな起こるかどうかも分からない未来まで、トランスジェンダー当事者たちは首を長くして待たなければならないのだろうか。また、女性的な格好をしているシス女性もまた多いにも関わらず(そのことは全く悪いことではないし)、トランス女性だけにジェンダー規範強化の責を負わせるのは差別だとしか言いようがない。
(※4)社会的に構築された「女らしさ」「男らしさ」のこと。
トランスジェンダーが生きやすい理想の社会について聞くと、A子さんはこう答えた。
「偏見がなく、プライバシーが守られる社会ですね」
トランスジェンダーに対しては、認知が広がったとしても、まだ偏見は多い。興味深い存在として、詮索や奇異の目の対象になりがちだ。単に認知が進むだけでは足りず、トランスジェンダーが存在することが当たり前で取り立てて騒ぐことではない、そんな社会になるとよいのかもしれない。
また、プライバシーに関しては、身体の性や戸籍上の性をみだりに開示させられることのない世の中が求められている。たとえば、直近では履歴書の性別欄がJIS規格の様式例から削除された。このように、身分証明書やアンケートでも性別欄が消される未来が来るとよいだろう。職場においてはすでに、改正労働施策総合推進法に基づき優越的な地位にある者がアウティングした場合はパワハラに該当すると示されている。
最後に、A子さんが未来のトランスジェンダーの子どもたちへ向けた一言を紹介して、この記事を締めくくりたい。
「今は私たちの世代が頑張ります。あなたたちが私たちの歳になる頃には、きっともっとよい世の中になっているはずだから」
<取材・文/川瀬みちる>
1992年生まれのフリーライター。ADHD/片耳難聴/バイセクシュアル当事者として、社会のマイノリティをテーマに記事や小説を執筆中。
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