言わずと知れた有名な作品であり、戦時中の幼い兄妹の悲劇の物語として受け取られている方は多いだろう。本作は“全体主義”の観点からも、非常に重要なメッセージが投げかけられていたということを、ここで提言しておきたい。
第二次世界大戦中の日本では、お国のために一致団結する、戦争に懐疑的な者を非国民として非難するといった全体主義がまかり通っていた。しかし、14歳の主人公・清太は周りの大人たちの手を振りほどき、4歳の節子と2人だけで壕で暮らすという、全体主義から反旗をひるがえすような行動をしていた。艦隊で戦っている父が生きて戻って来るという希望があったせいもあって、彼は妹の節子にただ悲しい思いをさせないために、“社会的なつながり”を自ら放棄しているように見える。
物質的に豊かになった現代では、清太のような「みんなとは違う生き方」という選択肢も取れるかもしれないが、あらゆる情報が不足し、食事もままならない戦時中ではそうもいかない。戦争という出来事そのものよりも、「みんながこうするべきだ」という全体主義および、その正反対の行動といった、一方的で極端な考えが生きることを困難にしてしまうこともあるのではないか、そこにこそ悲劇があったのではないか……。故・高畑勲監督の着眼点は鋭く、人間の社会にある真実を捉えている。
三田紀房による同名マンガの実写映画化作品であり、戦争の悲劇性や小難しい話が苦手という方にも文句なしにオススメできる、万人が楽しめるエンターテインメントだ。冒頭の戦艦大和の沈没シーンは大迫力かつ映画としての“掴み”としても抜群で、戦艦の予算の虚偽を数学の天才が暴くという構図そのものが痛快であり、天才数学者だが変人で型破りな性格の菅田将暉と、初めは反発するも頼れる相棒へと変化していく柄本佑との“バディ感”も楽しい。
時代は第二次世界大戦開戦の前であり、主人公の数学者は「日本がアメリカに戦争で勝てるはずがない」と初めから達観している。しかし、言うまでもなくこの後に日本は戦争に突入してしまうし、戦艦大和も作られ、しかも撃沈してしまう。さらに、この数学者は美しい数式により作られた戦艦を愛してはいるが、それは戦争および人殺しのための兵器であることもわかっているという、宮崎駿監督の『風立ちぬ』(2013)の航空技術者に通じる“矛盾”を抱えている。その事実と見事に折り合いをつけた決着は、カタルシスがあると共に、戦争の無情さも痛切に伝わるものであった。
また、政府の高官が論理的な事実ではない、ほとんど“意地の張り合い”で口論をしている様は滑稽でもある。“数字”という普遍的かつ明確な証拠でもなければ、そうした権力者の短絡的な主義主張が覆ることなく押し通されかねないというのは、残念ながら現代の日本社会にも通ずる悪しき体制ではないか。社会的責任のある立場の方にも、ぜひ観ていただい。