死を選ばざるを得ぬ人を減らす社会を作る前に、命の選別に前のめりな人間たちが政治家になるニッポン

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adam121 / PIXTA(ピクスタ)

 7月23日、「死にたい」と漏らしていた筋委縮性側索硬化症(ALS)の女性を殺害したとして、ともに40代前半の医師、大久保愉一容疑者と港区の山本直樹容疑者が嘱託殺人の疑いで逮捕されました。  週刊誌の報道によれば、昨年の冬、被害者女性が医師2人(しかしながらこの医師は担当医でもなんでもない、SNSを通じてやり取りがあっただけの人物)に殺害を依頼し、医師が睡眠薬を投与し、殺害をしたといいます。一連の報道を受け、改めて容疑者となった医師のこれまでの言動をチェックしてみると、「扱いに困った高齢者を枯らす技術」という電子書籍を発売していて、認知症やギャンブルで家族を泣かせている「今すぐ死んでほしい」と思うような老人を殺人罪に問われないように死なせる方法を説き、指南していたことが発覚。過去にもたびたび優生思想を語るツイートをするなど、日頃から医師としての倫理観を問われそうな言動を繰り返していたことがわかりました(参照:文春オンラインデイリー新潮)。

つい最近問題になった「命の選別」

 今も医療は着実に進歩していて、これからも人の平均寿命はさらに延びると考えられています。そんな中、先日、れいわ新選組(除籍済み)の大西つねきさんが「高齢化社会が進めば介護を受けられなくなる人が出る。今後は政治が『命の選別』をしなければならない」という発言をして、大炎上しました。  れいわ新選組は、こうした優生思想こそ社会的弱者となった人たちの命を切り捨てるものであり、断じて許すことはできないとして、大西つねきさんに「除籍処分」を下しました。「病気の高齢者を税金で生かすより、とっとと死んでもらった方が若者に使えるお金が多くなる」という、およそ政治家には向いているとは思えない思想の人がちゃっかり政治家になろうとしていたのですから、れいわ新選組の決定も納得でしょう。「税金で助けてもらって生活する人たちを『死』で減らそう」という思想は、政治家が持っていると大変危険です。

事件をキッカケに尊厳死を語る日本維新の会

 日頃から「迷惑な老人はとっとと殺した方がいい」と発言し、わざわざ指南書を作るほどのイカれた医者が、とうとう患者から「殺してほしい」とリクエストを受け、何のためらいもなく「アイアイサー」で殺してしまう事件が起こって、普通だったら「なんて事件が起こったんだ!」と衝撃に打ちひしがれるところだと思うのですが、日本維新の会代表で大阪市長の松井一郎氏は、この事件を受け、さっそく「尊厳死について議論しよう」と国会議員に呼びかけました。  これまでの容疑者の言動を見る限り、一言に「尊厳死」の話で片づけられるような話でないことは明らかなのに、ある種の殺人事件を「チャンス」とばかりに「議論しましょう」と意気込んでいる。普通だったら、これまた「オッサン、何を言うとんねん。これは尊厳死とちゃうぞ!」と言うところなんですが、このツイートに日本維新の会の議員はどう呼応したのか。早速、おときた駿さんが反応しました。  一言で言えば、「やりましょう」です。「避けては通れない問題です」と言っていますが、「病死を装った殺人事件」をスタート地点にしているのですから、まともなゴールに辿り着くとは思えません。だいたい、こういうセンシティブな問題に土足で踏み込み、「海外なら靴を脱がないのが当たり前ですよ」ぐらいになっちゃう奴というのは、メンバーが決まっています。  やっぱり登場、自民党の小野田紀美さんです。「生きたい人は生きればいいし、死にたい人は死ねばいい。他人にとやかく言われる筋合いはない」というのが、小野田紀美さんのご主張でしょう。しかし、この理屈だと何かつらいことがあって「死にたい」と思う人がいたとして、自分の人生をどうするのかは誰にも揺るがされることのない自分の権利だということになってしまい、どんどん「死にたい奴は死ねばいい」の世界になってしまいます。そもそも「どうして死にたくなってしまうのか」という問題を真剣に考えることこそが「真正面から向き合う」ことなのではないかと思いますが、短絡的に「尊厳死」の問題にしている時点で、頭が悪いとしか言いようがありません。
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「希望」を抱ける社会を放棄する政治家の存在意義
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