死を選ばざるを得ぬ人を減らす社会を作る前に、命の選別に前のめりな人間たちが政治家になるニッポン

「日本」という「赤字の会社」を再生させる方法は2つある

 まさに今、日本の財政は「赤字の会社」と同じです。  どうやら今年は新型コロナウイルスの影響もあって、まともな税収が見込めない。だから、このままでは借金が増えるだけで、会社がますます傾いてしまうのではないか。そういう状態にあります。  そして、こうした会社の赤字を解消しようと思った時、方法は大きく2通りあるはずなのですが、多くの経営コンサルタントは1つのことしか語りません。それは「経費(主に人件費)を節約する」です。これは最も簡単かつ短期的に成果を上げることができます。長年働いてくれた社員をスパッと切り、滅多に起こらない事故が起こった時のことを想定して義務付けていた命綱をやめ、客をワクワクさせるだけの無駄な演出を省き、働かせてもらえているだけありがたいと思えってことで賃金を抑える。こうして多くの犠牲を払いながら会社の利益を追求していく。どうやらこういう政策を実行することを「リアリスト」だと考えている政治家がいるようなのです。  しかし実は、もう一つ重要な道が残されていることを知らなければなりません。それは「売上を伸ばす」です。支出が100億円あるのに80億円しか儲かっていないから、20億円分をカットしなければならないという話になるのですが、そもそも100億円以上の売上があれば何の問題もありません。今回の問題で言うなら、病気が原因で死にたくなってしまった人がいて、「死にたいなら死ねばいいじゃん。死にたい気持ちがもっと尊重されるような世の中にするよ」と言うのではなく、どうして死にたくなってしまったのかを紐解き、「それなら同じ病気で悩む人たちが少しでも減るように研究開発費にもっと多くの予算を投じよう」とか「手足を動かせなくても代わりとなるアームを自由自在に動かせる技術開発に予算を投じよう」とすることで、死にたくなるほどのお困り事を解決できる可能性があるのです。  こうしたことに予算を投じると何が起こるのか。それは、直接的に患者を救うことになるばかりか、薬が開発されたり、新しいシステムが導入されることで、その技術を応用したさまざまな製品が生まれ、やがては日本企業の利益にもつながっていきます。まさに人の命よりも「お金」が重要だと言っている人たちもニッコリの、人を幸せにしてお金まで儲かる一石二鳥です。このように、さまざまな方面にハッピーな道を切り拓くのが「政治家」の仕事であり、これこそ政治家が考えるべきアイデアだろうに、安易に「死にたい人が死ねるように」と言ってしまうのは、そこらへんの愚者の発想です。  なぜ、この世に絶望する人たちに希望を与えるような政策を考えるのではなく、絶望する人たちに「死」を提供することばかりが真っ先に議論されるのか。そもそも生きることに絶望を感じる世の中になっている時点で、それは政治の敗北ではないでしょうか。それを自分たちの責任として痛感するでもなく、「死にたい人が死ねないのはおかしい」と言うのです。こんなことで本当に良いのでしょうか。

長生きしたくない人が増えている日本

 日本生命が2018年に行ったアンケートでは「長生きしたいですか?」という質問に「思う」と答えた人が24.1%、「まあ思う」と答えた人が22.2%で、足しても46.3%しかいませんでした。つまり、半分以上の人はそこまで長生きしたくないと考えているということになります。本当だったら、長生きしたいと思う人たちの割合を増やしてこそ、政治家が仕事をしていると言えるはずなのに、今、政治家たちが取り組もうとしていることは、そんなに長生きしたくないと思っている人たちに、早々に人生を切り上げるためのプランです。社会に問題があるとは考えないのでしょうか。  一方で、少子高齢化が恐ろしいスピードで進んでいる日本では、もう2020年の時点で、65歳以上の高齢者1人を「労働人口」と言われる15歳~64歳までの人たち2人で支えていることになっています。戦後すぐの1950年には約12人で支えていたものが、どんどん高齢化が進み、昭和の終わりの1985年には6.6人、2000年には3.9人、2010年には2.8人となり、今では2.0人で1人を支えているのです。この先、その負担はますます大きなものになり、2030年には1.9人、2040年には1.5人、2050年には1.4人となっていき、労働者の負担はどんどん大きなものになっていきます。  こうなると、働けど働けど高齢者福祉にお金が回されることになって、若い人たちにお金が回らない。お金が回らないのは高齢者のせいで、税金で食わせてもらっている高齢者のせいで若者たちの自由が迫害されている。そんなふうに世代間抗争を煽り、若い人たちの票を得ようとするバカが現れるはずです。いや、もう既に現れているのですが、こうした思想が広がり、さらに尊厳死がもてはやされるようになると、やがて来るのは「早く死ねよ、ジジィ!」と言われる世界です。  ボケた老人は早く死んだ方がいい、病気で苦しんでいる老人は早く死んだ方がいい、人生にある程度の満足ができた老人は早く死んだ方がいい。少ない労働人口でどのように富を築き、高齢者も含めて全員が幸せな人生を過ごせるかではなく、とっとと死んでもらう政策ばかりが進んでいく。長生きすることが申し訳ない社会が作られていき、「そろそろ死のうかな」という世界が広がっていく。僕たちが望んでいるのは、そういう社会であり、そういう政治なのでしょうか。
次のページ
「死ぬ権利」よりも、「生きる権利」を守る社会
1
2
3